こんにちは、結局はアニミズムOSである精神論から逃れられなかった天啓聖母です。
怪我闘病中だった羽毛恐竜さんを、アニミズムOSで「気」を張るという精神論でお世話した結果、亡くしました。
アニミズム精神論のせいで、科学の目を持って定量的に解析することができませんでした。
そのことを反省し、同じ失敗を繰り返さないために脱アニミズムOSを模索するブログになります。
アニミズムがアジア人から科学を遠ざけている!
さて・・・、100年計画によって、中国は飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長中です。
しかし、
マルクスを導入しようとアニミズムOSを捨てられない中国は
日本と同様に限界が来るだろう
と思っています。
日本と中国は非常によく似ています。
同様にアニミズム性が強く、現実のOSは現代科学に疎く、
学問の体系化が苦手で本質をとらえていないと見えます。
本質と捉えていないと、ある程度は回数をこなしていれば
品質や能力も向上するでしょう。
しかし、限界が来る。
これ・・・実は、ケモナーな私が以前から気が付いていて、いつか書かないとといけないと思っていたことです。
日本人ケモナーの作るミューツーと海外勢の作るミューツーの違い。
画像見ただけで、どっちの作品かすぐ分かる。
えぇ・・・どちらもとても高いスキルを持つ着ぐるみ職人の作品です。
どっちが日本人でどっちが西洋人でしょう?
答え、上が西洋人。下が日本人。
違い?
解剖学的に正確な知識をたたき台にデフォルメしているかどうか?
西洋のほうは、動物たちに特徴的な、指だけ地面について踵が上にあがってて、
これ↓
これが再現されています。
日本人の作る着ぐるみはまずこれに注目していることが少ない。
西洋人の作る着ぐるみは上手い下手に関係なく、ここまで再現しようと努力しているのが大半です。
これね・・・たとえばLancetとかNEJMのアクセプトされる論文の基準に置き換えて考えてみてほしい。踵部をどんな下手くそでも再現するのが前提だった場合、他がどんなに良くても一見もされずリジェクトです。日本人はどの分野でもいつもこんな感じです。
こういう、物事の本質を客観的にとらえようとする視点って、絵画や工作だけではないと思っています。
学問も同じです。
なんとなく、それっぽいものを作るのではなく、体系立つこと、メソッド化すること。
日本人はこのミューツーのように動物としてあり得ない造形を観察眼に乏しいことで作ってしまうというのを学問領域でも頻繁に行っています。
頻繁に・・・というより、もう日本語の教科書で勉強するのが嫌だと思ったのは高校時代からですね。
今でも、慣れ親しんだ分野以外は基本的に海外の教科書で勉強を開始します、初学の人間に日本の体系立ってない教科書は百害あって一利なしです。
そんなだから、義務教育で「縦x横」だか「横x縦」だか知りまへんが、どうでもええことを従わせようとし、算数の体系から外れてしまっている。
アニミズムOSやばい!
ギリシャ神話時代から、写実的な彫刻等の客観視と詳細な物事の本質を捉える力を持っている西洋人に対し、中国人は写実的ではない兵馬俑や水墨画だもの・・・。
アニミズムは万物に霊魂だから、物事を詳細に観察し再現するなどの客観視って「魂が取られる」という迷信によりタブーなのでは?
ここがアジア人の限界のようにも思います。
(うーん・・・ギリシャ神話もアニミズム要素は強いので・・・どうして多神教+アニミズムのあそこから、写実や哲学が生まれるのか?という疑問もありますが・・・。
ここは私では答えをさせないので、今後の追究課題としといています。)
数千年レベルでアニミズムを克服できないアジア人達は、何をすべきか?
私のイメージする独断と偏見の日本および中国、西洋。
学問だろうと工業製品だろうと万事がこんな感じかと。
日本と中国の違い、さらに西洋の違い。
>《昔、中国の楚 (そ) の国で、蛇の絵をはやく描く競争をした時、最初に描き上げた者がつい足まで描いてしまったために負けたという「戦国策」斉策上の故事から》付け加える必要のないもの。無用の長物。
蛇を描く時に、そもそも蛇が何であるかを客観的に観察せずに、蛇っぽい何かを描いて、自己満足機能の足を付けるのが日本人。
蛇を描く時に、そもそも蛇が何であるかを客観的に観察せずに、蛇っぽい何かを描いて、高速で大量に描いているうちに想像上の龍になってても気にしないのが中国人。
その頃、白人達は写実的な蛇を描く。
コロナ禍の政府の方針が戦時中の大本営やインパール作戦が再現されているアニミズム国家というだけでなく、個人に関してもどう努力してもアニミズムOSを捨て去ることが難しい・・・。