こんにちは、求道者の天啓聖母です。

お金の為に労働する社会を無くしたい、日々の一歩一歩の歩みを綴ります。

 

 

 

↓前回の内容です。

宗教がわかってない人は世界がわからない(1)

 

 

 

 

引き続き中村圭志先生の記事を参照しながら、説明していきますね。

 

①アニミズム………動物や自然物、先祖などの「霊」を信じる
②多神教……………さまざまな権能を帯びた「神々」を礼拝する
③一神教……………宇宙の独裁者である「唯一神」の権威に服する
④悟りの宗教………人生の霊妙な理法を「悟る」ことを目指す

宗教の進化の方向性は、

アニミズム -> 多神教 -> 一神教 

 

②多神教……………さまざまな権能を帯びた「神々」を礼拝する

アニミズムで説明がつかなくなると、沢山神がいることと仮定して因果関係を理解しようとする、それが多神教です。

農業の発達にともなって、ジャングルの恵みにのみ頼って生きられなくなった人間は、田畑を作り、水路を引いて自然をコントロールしていこうとします。

狩猟と違って、農作物は保存が効くので社会の格差が進み、王様が出てきます。

その王様のような姿が神々として投影され、多くの神様が生まれます。

人間の願望の数だけ神様が生まれるようになり、豊穣の神を拝めば雨を降らし、戦争の神を拝めば戦争に勝たせてくれます。

地域の神とか、村ごと、家族ごとの神様が生まれます。

 

菅原道真は合格させてくれる!

 

今宮戎は金儲けさせてくれる!

 

> 昔の人々がどこまでこうした神々の効能を期待していたかは怪しいとは思います。神に向かって雨乞いしたとしても、雨が降るとは限らないからです。しかし、今日でも人々は神社に合格祈願の絵馬を奉納したり、占いを「信じ」たり、疑似科学的な健康法を試したりしています。人間は生の現実よりもファンタジーを信じたがるもののようです。

神々の信仰の多くは共同体の行事です。だから神々を信仰するという形で人々の共同意識を高めるという効果もあります。雨乞いに気象学的効果はないとしても、お祈りの行事をするとき、村人たちが危機感を共有できます。戦いの神に戦勝祈願するときも、兵士たちの士気は上がります。

そのような心理的効果があるのであれば、神の信仰にも立派な社会的機能があることになります。今日では、スポーツ観戦や国家行事における集団的熱狂やナショナリズムの盛り上がりのようなものが、神々を崇める行事に似ていると言えそうですね。

なるほど・・・多神教の国では占い・・・日本はアニミズム国家ではありますが、天照大神とか多神教的な要素がある国なので、占いが好きですね・・・。

どこの国の新聞に血液型占いや星座占いが載ってますかね?・・・おかしな現象だと子供の頃から不思議に思ってました。

骨盤矯正したり、メタトロンとか似非科学的な健康法(笑)が好きなのも多神教由来なんですね。

そういや、ヒンドゥー教は多神教ですが、彼らもアーユルヴェーダとか好きですよね・・・。

 

気合いはアニミズムだと思ってましたが、多神教もそのような感じなのですかね?

インドも気合いとか言うんですかね?

コロナも気の緩みとか言ってますし、インドもそうですかね?

気合い?馬鹿じゃないの?日本人・・・時代錯誤

 

 

> 多神教世界の神々は、民族ごと、地域ごとにさまざまです。インドにはインド神話の神々(帝釈天とか火天とか水天とか)がおり、ギリシャにはギリシャ神話の神々(雷てい神ゼウスとか豊穣神デーメーテルとか)がおり、中東には中東神話の神々(軍神マルドゥクとか豊穣神イナンナとか)がいる――こんなふうに多神教は世界中に展開しました。

それらの信仰の一部は今日では死に絶え、一部は今日でも存続しています。例えばギリシャ神話や中東神話の神々はもはや死に絶えていますが(今のギリシャ人はキリスト教徒で、今の中東の人々の多くはイスラム教徒です)、日本神話の神々――アマテラスやオオクニヌシ――は今も健在です。

 

多神教は、今は滅んでしまっているのが多いんですよね。

アミニズム -> 多神教 -> 一神教 の順で進化する過程ですから。

 

 

 

豊穣の神、学問の神、商売の神、こんな風に細分化されてたら、誰が旗振りして国家の方向性を定めるんでしょう?

と思うのです。

 

そこで、多神教的要素のある日本はというと・・・

 

日本はどこに向いていくかを考える部署がなかった。
事務次官会議ですり合わせはあるけど、国家戦略局がなかった。

各省庁が各省庁の利益をすり合わせする場はあるけど、

これではそれぞれの省の縄張り争いで終わる。
20年、30年先を考えた国家としての方向性を決める部署がなかった。

 

そこで、作ったみたいですけど・・・。

税財政の骨格や経済運営の基本方針等の国家の内外にわたる重要な政策を統括する司令塔並びに政策推進の原動力として、総理のリーダーシップの下、産官学の英知を結集し、重要基本方針の取りまとめ等を行うとともに、国の未来への新たな展望を提示するため、新時代の中長期的な国家ビジョンの構想を行う。

 

いいね!

 

しかし・・・今は無いようで・・・。

今は、どこで20-30年先のビジョンの構想を行っているのでしょう・・・はて・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

多神教の世界観。

地域~国家。

 

 

 

まあ・・・アニミズムOSに多神教OSのデュアルブートな日本人よりは、まだマシですけど・・・。

あ、いや・・・日本はデュアルブートではないや、VMwareとか仮想環境に多神教OSも乗せてあって使えます、というやつ・・・。

 

③一神教……………宇宙の独裁者である「唯一神」の権威に服する

多神教でも説明がつかなくなると、地球、宇宙、人、地球をとりまく全てを自ら作った絶対的な存在を仮定すると因果関係の説明がつきやすいということで一神教が生まれます。

 

えぇ・・・聖母さんは、一神教などというものはよくわかりません。

 

いままで、一神教の人に、「あなたは今日、自分でここに来ようと思って来たと思っているかもしれませんが、神があなたを選びここに来させたのです」とか言われると、「うぁ・・・なんだこのカルト宗教・・・」と感じてしまったりしてましたが・・・それはカルトでもなんでもなくて、正統な一神教なんですが、数ヶ月前の私にはそういった知識もなく、海外の知人との付き合いも含め、とんでもなく無教養であったと言わざるを得ない。

これを言われたときに、あなたは神に選ばれた特別な人間です、というふうに受け取って、これは邪教だカルトだと思ってた。

神が準備したただのシナリオです、というだけのようです。

一神教って・・・・アニミズムの中に一部多神教的要素を含む精神性の聖母さんには、まだ自分の言葉に置き換えるだけの知識が無い。

多神教の神々の中で一番強い排他的なやつだと思ってました。

絶対の意味が解ってないからです。

 

> こうなってくると、アニミズムの霊や多神教の神々ではパワー不足です。世界のごく小さな範囲に対してしか権能をもっていないからです。火の神は火だけを司り、水の神は水だけを司る。ある神はある村だけの神、ある神はある民族だけの神です。

というわけで、多神教の神々よりももっと上位の、独裁的な神の存在が求められるようになりました。それが一神教の神――唯一神――です。

唯一であり、創造者であり、全知全能であり、絶対善である――実に大それたイメージです。

 

一神教の世界観?

えーと国境を越えた全世界?

 

違う!

こんなに小さくない!

 

 

 

 

 

 

一神教の世界観。

全て。

 

多数の銀河・・・。

これもまだ一部かもしれない・・・現代人が知っている全て以上。

 

 

 

量子力学とか科学がこれだけ進歩しても、アニミズムや多神教の神様と違って、論理的に否定できない・・・また、そこが凄い。

 

一神教の神とは、かなり壮大な仮定なのです。

 

まとめ ①

日本人はネアンデルタール人と同様のアニミズムが今も生き続ける精霊信仰から精神性の成長が見られない珍しい国民です。

アニミズム -> 多神教 -> 一神教 と思考が成熟することがなく、それなのに近代化して高度な科学技術を扱う国民・・・。

そして、日本で一神教の宗教を作ろうとすると、どうしてカルト宗教(例えばで言うと、生身の人間が神になってしまう)になってしまうかもわかりました。

キリスト教・・・世界の先進国はプロテスタントが主流ですよね。

日本の場合、カトリックは比較的まともだけど、プロテスタントに変な牧師とかカルトが出てきてしまう理由もアニミズムOSでは一神教が理解できないからなんですね。

韓国も同様にカトリックは比較的まともで、プロテスタントは・・・ほぼカルト以外知らない・・・と留学生が言ってましたね・・・極論だけど・・・。

良くも悪くも、カトリックはバチカンの支配下で神父が派遣されて運営されているけれど、アニミズムOSでモノを考える日本人には、まだ完全な多神教にも到達していないというのもあって、一神教を自分達でやろうとすると、カルトとか邪教になってしまう・・・。

 

日本は宗教というかたちで思考実験をすること無しに、アニミズムOSのままで生きてもそう不都合はなかったんだと考えられます。

何故か?

だって、自分達で伸びる必要がない、科学が理解できる思考体系を確立し発明を行わなくとも、昔は稲作でも製鉄でも製紙でも製糸でもなんでも中国から入り、いまは西洋から入る。

 

 

 

 

中国も西洋も内発的であるが、日本は常に外発的である

 

 

 

まとめ ②に続くと・・・思う。

 

 

 

 

 

 

天啓 聖母