昨年10月に増田俊也の『木村政彦外伝』を読み終えた。

 もともと『ゴング格闘技』に連載されていた『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』が、新潮社から701ページの単行本として発売された。自分は、2015年1月から2月にかけてこちらの本は読んだ。

 自分の記憶が正しければ、連載前の仮称が『鬼の木村はなぜ力道山を殺さなかったのか』だった気がする。また、著者は『ゴング格闘技』に連載時の2008年、増田俊成から増田俊也へと改名している。

 

 今回の『木村政彦外伝』は、『ゴング格闘技』に掲載された増田俊也の作品・対談のうち、単行本『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』に収録されなかったものを集めて単行本化したもので、何と『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を超える719ページの大著である。

 

 さて、タイトルに「木村政彦」と入っているものの、自分が一番興味深く読んだのは、野村忠弘の叔父にあたる野村豊和から継承した堀越英範の背負い投げと、岡野功から継承した古賀稔彦の背負い投げが真正面からぶつかり合う1996年4月7日の全日本体重別78キロ級の激戦を書いた『超二流と呼ばれた柔道家』だった。

 

 昨年読んだ武術家・格闘家関係の本では、著者の趣旨とは別に自分自身が知らない知識・情報が乗っていると「オオッ!」と知的興奮を味わうことが多かった。

 

 例えば『ケンカ十段と呼ばれた男 芦原英幸』では、映画『007は二度死ぬ』のロケ地のひとつは、自分の住んでいる姫路市の姫路城であるが、そこに登場する空手家2人が、極真会館(当時)の藤平昭雄(大沢昇)と加藤重夫であることを知った。藤平昭雄(大沢昇)については、ここで述べるまでもなく有名な小さな巨人であるが、加藤重夫はのちにキックボクシングの藤ジムを設立し、極真時代には松井章圭を、キック時代には魔裟斗を指導している名伯楽である。また、四国に本部のある少林寺拳法を真似て、芦原英幸は真剣に芦原会館の宗教法人化を考えていたとの事実を知った。『西部警察』等に出演していた俳優・御木裕は芦原英幸の弟子であり、その御木の父親はPL教団から人道教団の教祖となった方で、宗教法人化を相談して「芦原先生は、武道家であって宗教家ではない」と諭され諦めたとある。

 

 『芦原英幸正伝』『芦原英幸伝 我が父、その魂』では、芦原英幸と交流のあった棟田利幸ついての言及があった。10年間四国で無敗を誇る柔道の猛者で、芦原英幸の指導を約2年間警察で受けている。その棟田利幸の子が、世界柔道選手権等で数々の金メダルを獲得した棟田康幸である。このような事実から棟田は芦原から空手を学び、芦原は棟田から柔道を学んだであろうことは推測できる。ところが、芦原が柔道以上に興味を持ち、棟田から教わったのは、警察の逮捕術だと言うのだ。そして、極真会館時代にすでに萌芽のあった彼の「サバキ」の技術体系ではあったが、警察の「逮捕術」を研究することでさらに「サバキ」の技術は高みに達したと本人は語っていたとされる。

 

 『あしたのジョー論』では、柔道の講道館本部が、文京区春日へ移転するのに伴い、水道橋の旧講道館を買収・改修したのが後楽園ホールとある。つまり、もともと柔道のメッカであったところが、ボクシング(拳闘)のメッカへと移り変わったことになる。ネット上の情報で調べ直してみると、水道橋の旧講道館の跡にできたのは、後楽園ジムナジアム(通称・後楽園ジム)で、のちに後楽園ホールと改称された。外堀通りと白山通りが交差する場所にあったらしい。その後1962年に、後楽園ボウリング会館(現在の後楽園ホールビル)の5階・6階に移転している。

 

 今回の『木村政彦外伝』で、「オオッ!」と思った点を列挙してみたい。

 

●この点は、すでに『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』で言及されていたのだが、8年の間に忘れていた。太気拳(太気至誠拳法)を創始した澤井健一は、中国武術を学ぶ前に剣道や柔道も修めていたことは有名である。立ち技では相当のレベルに達していた澤井は、寝技に長けた旧制第六高等学校で高専柔道の寝技を学んだことがある。

 

●木村政彦の弟子の岩釣兼生は、ビクトル古賀からサンボを学んでいる。嘉納治五郎の秘書だったのがレスリングの八田一郎で、その八田一郎がビクトル古賀にサンボの習得を命じた経緯を思い出すと、興味深いものがある。

 

●ヘーシンクの師匠は武徳会の系列にあたる道上伯であるが、道上伯の師匠は磯貝一や栗原民雄であり、栗原民雄は姫路市出身で武徳会系の柔道家。

 

●ヘーシンクは、旧制第六高等学校で寝技の発展に寄与した起倒流・竹内流出身の柔道家・金光弥一兵衛や、最強レベルに達する前の木村政彦に勝利し合気道も併修していた武徳会系の柔道家・阿部謙四郎にも教えを乞うている。

 

●ヘーシンクは、太気拳(太気至誠拳法)の澤井健一の教えも乞うている。

 

●力道山はハワイ相撲出身の沖識名からプロレスを学んだが、その沖識名がプロレスを学んだのがタロー・三宅(三宅多留次)。タロー三宅(三宅多留次)は、4代目田辺又右衛門から不遷流柔術を学び、天神真楊流出身のスモール・タニ(谷幸雄)とともに、海外で柔術を使えるプロレスラーとして活躍し、海外での柔術普及にも貢献した。

 

●先述のスモール・タニ(谷幸雄)から柔術を学んだひとりが、「バーティツ」を創始したバートン・ライト。このバートン・ライトの「バーテイツ」が、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ作品に登場する謎の格闘技「バリツ」の語源との説が有力となっている。

 

●柔道新聞を発行していた柔道評論家の工藤雷介は、頭山満の玄洋社・社員であったこともある右翼活動家。