先日、以下のような記事をアップした。
その中で、以下のように述べている。
この本のあとは、
『芦原英幸伝 我が父、その魂(小島 一志・著/芦原 英典・協力/新潮社・刊)』と、
『芦原英幸正伝(小島 一志・小島 大志・著/新潮社・刊)』を読む予定だが、
両著は小島一志の脚色や恣意が多分に紛れ込んでおり、ノンフィクションやルポルタージュと呼べるシロモノではないことは有名な話。
特に『芦原英幸伝 我が父、その魂』は、息子の芦原英典の語っていないことまで、まるで語ったかのように著されており、そのために絶版となってしまった。ちなみに『芦原英幸伝 我が父、その魂』は、初版の過激な描写が第二版ではマイルドになっている。芦原の葬儀に正道会館の石井館長があらわれたシーン等である。自分が所有しているのは第二版の方であり、確か「板バネで日本刀」の描写も出てこなかった気がする。
このたび、上記の2冊を読み終えた訳だが、『ケンカ十段と呼ばれた男 芦原英幸(松宮 康生・著/日貿出版社』との記述の相違に驚くばかりである。伝言ゲームではあるまいし・・・
まず、『芦原英幸伝 我が父、その魂』の193ページ以降にあるG氏のエピソードと、『ケンカ十段と呼ばれた男 芦原英幸』の365ページ以降の高木氏のエピソードの内容が、あまりにも異なり過ぎる。興味がある方は、実際に読み比べてほしい。
次に、『ケンカ十段と呼ばれた男 芦原英幸』では芦原英幸がリヤカーを引いてバタ屋(廃品回収業者)をやったエピソードについて、161ページ以降に後輩に見つかってバツの悪くなった話も登場するし、頭も丸めたことになっている。それに対して、『芦原英幸正伝』では芦原自身の発言として183ページから184ページにかけて以下のような記述がある。
「人間はずるいもんよ。ワシもそうじゃけん。『カラテバカ一代』で描かれた芦原は、自分とは別人やと猛烈に反発する一方で、どこか嬉しかったりする気持ちもある。禁足処分で坊主になりました、リヤカーを引いて仲間たちに恥をさらしました、そんなことは本当はなんもなかった。名前だけの禁足処分、大山先生が対外的なケジメとして発表しただけのペナルティじゃけん。ワシは実際禁足なんてしとらんのよ。ただ黒崎さんから少しは自重しとけと言われ、黒崎さんにはだいぶ迷惑もかけたけん、二、三日は道場を離れチンピラ相手の喧嘩も我慢したのは事実です。」
また、『芦原英幸正伝』の288ページ以降では芦原英幸とカレンバッハ(カレンバッチ)が対戦した描写がある。1990年前後の太気拳セミナーで通訳を従えて小島はカレンバッハを取材したとあり、「アシハラは空手家でも武道家でもなく、殺し屋だ。」と評していることになっている。
その一方で、『ケンカ十段と呼ばれた男 芦原英幸』には250ページ以降で百人組手も経験したことのある強豪ジャン・ジャービスを四国で手玉に取ったエピソードはあるものの、芦原とカレンバッハが、試合ないし組手をやったという記録や証言を見つけることはできなかったと書いてある。200ページ以降では、著者の松宮がカレンバッハへインタビューを試みており、カレンバッハは「芦原氏とは会ったことも組手をしたこともありません。」と答えている。
自分は、リアルタイムで劇画『空手バカ一代』を読んでいた世代でないので、今回の小島氏の2冊を読むまで、マンガの主人公が「アシワラ」で、実在の空手家が「アシハラ」であることに気付いていなかった。
この度の小島氏による2冊で、一番興味深ったのは、前回の『ケンカ十段と呼ばれた男 芦原英幸』のときも書いた柔道家の棟田利幸とことである。前回と重複するが、10年間四国で無敗を誇る柔道の猛者で、芦原英幸の指導を約2年間警察で受けている。その棟田利幸の子が、世界柔道選手権等で数々の金メダルを獲得した棟田康幸である。
このような事実から棟田は芦原から空手を学び、芦原は棟田から柔道を学んだであろうことは推測できる。ところが、芦原が柔道以上に興味を持ち、棟田から教わったのは、警察の逮捕術だと言うのだ。そして、極真会館時代にすでに萌芽のあった彼の「サバキ」の技術体系ではあったが、警察の「逮捕術」を研究することでさらに「サバキ」の技術は高みに達したと本人は語っていたとされる。
芦原空手の「回し受け」「回し崩し」は、剛柔流空手の「回し受け」との類似点があることには気づいていた。ただ、打撃の攻防から発展した芦原空手の「巻き込み投げ」等の技術と、もともと大東流にあった当身を極力廃止し、打撃との接点の少ない合気道の「回転投げ」の技術があまりにも似ていることが、以前から気になっていた。何の影響も受けず0から「巻き込み投げ」等の技術を創造したのだとしたら、偶然の一致に驚くばかりである。もしも、芦原が警察の「逮捕術」を研究していたのだとすると、その中には柔道だけでなく富木流合気道の影響も含まれている。芦原英幸が直接、合気道や少林寺拳法の技術を秘密裏に研究していた可能性も否定できないが、この「逮捕術」から合気道的な動きが間接的に流入した可能性もある。