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麓の稲岡神社。
 
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自分はここから下山したが、ここから登って往復するのがお勧め。金刀比羅神社と青山公園の間。
 
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山頂の磐座。頂上に岩のある山は、他の山より神聖視されたと思われる。
 
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稲岡山山頂からの展望。左右に夢前川が走る。右が鬢櫛山を含む荒川山塊。やや左が秩父山と船越山。
 
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山頂から眺めた姫路城。かなり小さい!
 
 
 前回、「琴神丘(ことかみおか)」「琴丘」に比定される薬師山を歩きましたが、
 
 
 歩き足らず、自転車で「稲牟礼丘(いなむれおか)」「稲岡」に比定される「稲岡山」へ向かいました。「稲岡山」は、姫路市にある標高63.8メートルの低山で、麓に稲岡神社があります。十四丘に比定されている十座のうち、もっとも西に位置し、唯一、夢前川の西にあります。
 
 さて、麓の神社に辿り着いたときの印象は、稲岡神社とその裏にある山と社務所の関係が、以前歩いた金山(八代山)の八代大歳神社とその裏にある山と八代交番の関係に非常に似ているとのものでした。
 
 
 ならば、神社の右側(東側)から上に登るものだろうと、勝手に解釈して、白幣稲荷社辺りから上に登り始めました。ところが、人工的に下草が刈ってあり整備されているものの、山歩き用の道が整備されている訳ではなく、短時間ながらも急登でした。
 山頂には岩があり、もともと磐座(いわくら)だったのではないかと思います。その風景を見ていて、また驚きました。岩から見える東側の展望が、金山(八代山)の山頂ではなく、東側にある岩から展望に妙に似ていたのです。
 また、少し前に紹介した『バキ道』の野見宿禰の墓のモデルと思われるたつの市の的場山の墓より少し上に、東側へと展望が開けたところがあったのですが、そのとき見えた揖保川と街並みが、今回の夢前川と街並みに似ていると思いました(的場山の方が、スケールが大きいですが)。
 
 帰りは、しっかりとした山道を見つけ、そこから下山しました。稲岡神社西側(左側)に金刀比羅神社がありますが(要するに稲岡神社の西が金刀比羅神社で、東が白幣稲荷社)、金刀比羅神社とそのさらに西側にある青山公園の間の階段に下りてくるかたちとなりました。二番目の画像の通りですが、この道から往復するのがお勧めです。
 
 これで、十四丘に比定されている十座のうち、残すは「ひめじ」の語源でもあり、「日女道丘」に比定され、姫路城のある「姫山」となりますが、最近姫路城に入城していたので、次回の記事にしたいと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

※関連リンク先

「『播磨国風土記』の餝磨郡伊和里の条の十四丘伝説とウォーキングまとめ」

https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12640536361.html

 

「山歩き まとめ(改)」 
https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12624377490.html