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薬師山橋から眺めた薬師山トンネルと薬師山方面。右側がネイチャーパーク。
 
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今回は、薬師山トンネル南側のこの階段から登る。この右がトンネル入口。
 
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願成寺境内から見た姫路城。
 
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大御岩神社。御神体は、空から降ってきた石(岩)?!
 
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旧の姫路赤十字病院に近い、この階段から下山。岩端町方面。
 
 
 前回は、「播磨国風土記」にある「伊和の里の十四丘」の「波丘」に比定される「名古山」を歩きましたので、
 
 
 今回は、その隣にある薬師山を歩きました。「薬師山」は「伊和の里の十四丘」のうち、「琴神丘(ことかみおか)」「琴丘」に比定される標高45メートルの姫路市の低山です。
 名古山のときにも書きましたが、姫路市民でも薬師山トンネルと名古山トンネルの違いがわかっていない人が多いです。一枚目の画像の通り、トンネルを通っている途中に一度空が見えると思います。南側が薬師山で、北側が名古山となります。名古山、子鞠山、御前山の上には名古山霊苑があります。薬師山は山頂が平地にされて、大きく分けると3つに部分になります。一番北側が、ネイチャーパークの敷地。今回の一枚目の画像の右側に見えているところから奥です。そして、中心部が姫路市立琴陵中学校。南側が和国稲荷神社、願成寺、善福寺、大御岩神社などの宗教施設群となっています。
 
 前述の通り、北方面はネイチャーパークの敷地となっており、一般社団法人播磨教育センターの管理地の上、イベントは月に2・3回しか開催されておらず、それ以外の日は無人で、出入口が閉ざされています。
 許可なく一般社団法人の管理地に侵入することははばかられましたので、今回はこのルートを見送りました。おそらく、ネイチャーパーク内の整備された山道を上へ登ると、琴陵中学校のグラウンドの見えるバックネットへ出るはずです。興味のある方は、以下のリンク先を参照してください。
 
 
 
 今回は薬師山トンネル南側の出入口の左側(道より西)に階段を見つけましたので、そこに自転車を停めて登り始めました。まず、和国稲荷神社に出て、その後願成寺の境内となりました。たまたま、檀家さんらしき方と住職の親族らしき女性が談話されており、この境内が姫路城の見えるスポットで、もうすぐ境内に桜が咲くことを教えていただきました。二枚目の画像のような展望です。
 
 続いて北へ行くと琴陵中学校前へ出ました。バックネット沿いに右側(東側)を進むと大御岩神社へと出ました。この神社は、その昔、空から星が山頂に降ってきて霊石と化したとされています。今風に言えば、隕石・流星です。同市の蛤山(振袖山)には、この岩から蛤の化石を拾った伝説があり、御神体(磐座)にも様々なエピソードがあるものだと思いました。
 
 神社境内はさらに右側から上に上がれるようでした。上がると、そこからは 「因達神山(いだてのかみやま)」に比定される「八丈岩山」が、よく見えました。境内から下山すると、旧の姫路赤十字病院があった岩端方面へと出ました。五枚目の画像の階段です。
 
 ふと思ったのですが、姫路市立琴丘高等学校が、「琴丘」に比定される「薬師山」よりも、「匣丘(くしげおか)」に比定されることもある「鬢櫛山」の近くにあるのは、紛らわしくいかがなものかなと思いました(「匣丘」は、「船越山」とされることもあります)。自分は山歩きを趣味にする前は、琴丘高校裏の低山のどこかが「琴丘」だと、勝手に思いこんでいました。
 
 前回、名古山霊苑のうち、名古山と子鞠山を歩きましたが、御前山(ごぜんやま)は足を踏み入れてなかったので、自転車で移動して、御前山の最高部まで行きました。御前山は、標高30数メートルの低山で、かつては青森山と呼ばれていたようです。名古山や子鞠山と比較して、最近になって墓地と化したようですが、墓ばかりの景観の上、自身の親族が眠っている訳でもないので、撮影は控えました。
 
 歩き足らず、次は必然的に、青山にあり「稲牟礼丘(稲丘)」に比定される「稲岡山」へと自転車で向かいます。
 
 
 
 
 
 
 

※関連リンク先

「『播磨国風土記』の餝磨郡伊和里の条の十四丘伝説とウォーキングまとめ」

https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12640536361.html

 

「山歩き まとめ(改)」 
https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12624377490.html