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「世界遺産姫路城十景」のひとつ、名古山霊苑高台(子鞠山)からの姫路城。
 
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姫路の山に二つの塔あり。ひとつ、名古山の仏舎利塔。ひとつ、手柄山の太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔。
 
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仏舎利塔の内部。初めて入った。正面は仏舎利を収めた厨子。
 
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厨子と天井。館内撮影は可。
 
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この祭壇の右側の茂みに四等三角点・点名「市墓地」があるはずなのに、腐葉土に埋もれて見えない。
 
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桂米朝さんのお墓(正確には記念碑)。姫路西高の前身、旧制姫路中学の54回生。
 
 
 名古山(なごやま)は、姫路市にある標高42.3メートルの低山です。名古山霊苑や斎場のある場所として有名で、仏舎利塔がシンボルとなっています。名古山霊苑高台は、「世界遺産姫路城十景」に選出されていますが、皆が姫路城を眺めている地点を山名で表すと子鞠山(小鞠山、こまりやま)となります。子鞠山の標高も、名古山とほぼ同じと思われます。「姫路の山々(姫路歴史研究会編集/中島書店/1996年3月15日発行)」によると、名古山霊苑あたりの丘陵を総称して「栗林山」と呼び、その西橋が「名古山」、東端を「御前山」と呼び、中の峰を「子鞠山」と呼ぶとのことです。
 
 さて、過去に「播磨国風土記」にある「伊和の里の十四丘」に比定される場所で寄ったところは、
 
 「冑丘(かぶとおか)」の「冑山」、
 
 「箱丘・筥丘(はこおか)」の「男山」、
 
 「甕丘(みかおか)」の「神子岡(面白山)」、
 
 「匣丘(くしげおか)」の「鬢櫛山」(もしくは、「船越山」)
 
 「船丘(ふなおか)」の「景福寺山」、
 
 「蓑形丘(みかたおか)」が、「(新在家にある方の)秩父山(水尾山?)」、
 
 
となりますが、「波丘」に比定されるのが、今回の「名古山」です。
 
 「伊和の里の十四丘」ではありませんが、
 
 「手刈丘(てがりおか)」に比定されるのが、「手柄山」、
 
 「因達神山(いだてのかみやま)」に比定されるのが、「八丈岩山」、
 
 「新羅訓山(しらくにやま)」に比定されるのが「広嶺山(広峰山)」、
 
 蔭山の里の条に登場する「冑岡(かぶとおか)」に比定されるのが、豊富町の「甲山」です。
 
 
 手柄山を一本歯高下駄で登り下りしたあと、もの足らず、名古山へ向かいました。今回は、薬師山方面から子鞠山(名古山霊苑高台)へと登り始めました。手柄山は一本歯で歩きましたが、こちらの山はトレッキングシューズで歩きました。
 話が横道へそれますが、姫路市民でも名古山トンネルと薬師山トンネルの違いがよくわかっていない人が多いです。名古山トンネルを運転していると、一度トンネルが切れて青空が見えてから再びトンネルに入ることに気付きます。北側のトンネルが名古山霊苑で、その上には名古山霊苑があります。南側のトンネルが薬師山トンネルで、その上には琴陵中学校があります。
 
 子鞠山には展望台があり、南東を眺めると、姫路城の左右に男山と景福寺山が、まるで脇侍のように並び、良い景観です。展望台から西へ行くと、その昔USJができるよりも前から地球儀噴水があった場所に出ますが、現在は取り壊されて存在しません。下記リンク先のような感じでした。
 
 
 そして、山伝いに名古山へ。前回紹介した手柄山の太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔も、現在の石見利勝姫路市長の父、石見元秀市長(当時)のプロジェクトによる精神的意味合いの強い塔でしたが、こちらの仏舎利塔も石見元秀市長(当時)によるもので、塔の中には、インドのネール首相(当時)から贈られた「仏舎利」が納められた厨子の仏舎利殿があります。仏舎利塔は、いわゆるストゥーパです。
 
 大人の場合、200円の縦覧料が必要なこともあって、姫路市民ながらこの度初めて塔の中へ入りました。自分が行ったのは土曜日でしたが、独占状態でした。仏教の特定の宗派に偏ることもなく神聖さを保持しており、なかなかの空気でした。三枚目の画像と四枚目の画像の通りです。その天井には鳳凰が待っており、入館したときに、塔内解説のテープを流してくれました。誰もいなかったので、10分くらい椅子にかけて、目をつむって瞑想してから退出しました。仏舎利塔は、中へ入れるだけでなく、外側から中ほどの高さまで上がることもできます。姫路城方面が、よく見えます。
 
 仏舎利塔の周囲には4つの納骨堂があり、納骨堂の礼拝堂をのぞくと、阿弥陀如来像がありました。阿弥陀如来像の脇侍は、観音菩薩(観世音菩薩)と勢至菩薩です。観世音菩薩は、「般若心経」に出て来る観自在菩薩ですので、目をつむって般若心経を唱えてみました。
 
 さて、山歩きマニアとしては、どうしても三角点が気になります。手柄山の三等三角点・点名「手柄山」は蓋がしてあり、見ることができませんでした。姫路市豊富町の甲山の三等三角点「甲山」は、市の水道局の所有地でフェンスがあり、近づくことができませんでした。今回の名古山の四等三角点・点名「市墓地」は、名古山の山上の平地的な部分を北へ北へ歩くと縦長の広場の端に五枚目の画像のような祭壇があり、その祭壇の右側の茂み(植え込み)の根元にあるはずでした。過去に訪れた方々は、下のリンク先の通り、茂みの下に先だけ現れた三角点を発見しているようです。ところが、自分が現地をいくら確認しても、植え込みの落ち葉が腐葉土となり、三角点は埋もれてしまい、発見することができませんでした。画像ではわかりにくいですが、三角点を示す白色の杭だけが存在しました。
 
 必然的に次回歩くのは、琴神丘(琴丘)に比定される薬師山と、稲牟礼丘(稲丘)に比定される稲岡山ですね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

※関連リンク先

「『播磨国風土記』の餝磨郡伊和里の条の十四丘伝説とウォーキングまとめ」

https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12640536361.html

 

「山歩き まとめ(改)」 
https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12624377490.html