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冑山から眺めた手柄山(2015年12月早朝撮影)。
 
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姫路の山に二つの塔あり。ひとつ、手柄山の太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔。ひとつ、名古山の仏舎利塔。
 
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先ほどの慰霊塔の裏側(北側)を歩くとある、三等三角点「手柄山」。
 
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手柄山からの展望。正面の建造物は、兵庫県立武道館。天気が良ければ、播磨灘が見えるかもしれない(水面はほとんど見えず、家島諸島が見える模様)。
 
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中へ入れなくなって、モニュメントと化した回転展望台。
 
 
 手柄山は、姫路市にある標高49.18メートルの低山です。手柄山遊園は、観覧車等の有料の乗り物は、全て稼働していません。回転展望台は取り壊されずに残っているものの、老朽化のため中へ入ることはできず、モニュメントと化しています。山の上の水族館や温室植物園、慰霊塔は現役です。手柄山交流ステーションでは、昔のモノレールを観賞できます。
 
 さて、過去に「播磨国風土記」にある「伊和の里の十四丘」に比定される場所で寄ったところは、
 
 「冑丘(かぶとおか)」の「冑山」、
 
 「箱丘・筥丘(はこおか)」の「男山」、
 
 「甕丘(みかおか)」の「神子岡(面白山)」、
 
 「匣丘(くしげおか)」の「鬢櫛山」(もしくは、「船越山」)
 
 「船丘(ふなおか)」の「景福寺山」、
 
「蓑形丘(みかたおか)」が、「(新在家にある方の)秩父山(水尾山?)」、
 
 となります。
 手柄山は、伊和の里の十四丘には含まれないものの、「手刈丘(てがりおか)」に比定されています。
 
 さて、標高50メートル足らずで、普通に登っても芸がないので、すり減って普通の下駄の高さになってしまった。一本歯高下駄に履き替えて、サンクンガーデンから登り始めました。早朝は、人も少なく良い雰囲気です。
 
 一番高そうなところには、太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔があります。軍人の戦死者を慰霊する施設は全国に多くありますが、特定の宗教に偏らず、太平洋戦争で亡くなった一般市民を慰霊する塔です。その形状は、剣先の方を大地に刺し、束を地上に立てたもので、「もう、戦いはやめましょうや。」のメッセージを表現しています。
 
 「姫路の山に二つの塔あり。ひとつ、手柄山の太平洋戦全国戦災都市空爆死没者慰霊塔。ひとつ、名古山の仏舎利塔。」どちらも、精神的意味合いの強い塔で、現在の石見利勝姫路市長の父、石見元秀市長(当時)のプロジェクトによるものです。
 
 その慰霊塔の裏側からさらに北方向へ歩くと、丸い広場的なスペースがあり、円状に石が敷いてあるところを探すと、三枚目の画像のように三等三角点・点名「手柄山」がありますが、蓋がしてあり、三角点の現物を確認することはできません。山歩きや測量等に興味のない方は、何度も手柄山を訪れていたとしても、ここに三角点があることを意識せずに終わっているかもしれません。
 
 その後、動かない回転展望台や平和資料館の横の車道を通って下山し、通常の靴に履きかえました。新しい一本歯高下駄を購入したあかつきには、4枚目の画像のところから登ってみたくなりました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

※関連リンク先

「『播磨国風土記』の餝磨郡伊和里の条の十四丘伝説とウォーキングまとめ」

https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12640536361.html

 

「山歩き まとめ(改)」 
https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12624377490.html