このたび、津本陽の『孤塁の名人 合気を極めた男・佐川幸義(文春文庫)』と、
 今野敏の『惣角流浪(集英社文庫)』『山嵐(集英社文庫)』を読了した。
 
 かつて、『大山倍達正伝(小島 一志&塚本 佳子・著/新潮社・刊)』と『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(増田 俊也・著/新潮社・刊)』を読み終えたときに、両者のノンフィクションとしての凄みを増しているのは、前者の著者である小島一志がフルコンタクト空手の経験者であり、後者の著者の増田俊也が七帝柔道の経験者であるからと書いたことがある。
 
 
 同様に、津本陽は剣道三段・抜刀道五段であり、今野敏は古流空手を追究し続けている。余談だが、多田容子は居合道三段・柳生新陰流兵法小転中伝である。
 
 
 やはり、小説と言えども武術経験者でなければ描写できない微細な部分があり、実際に武術をやっている読者を唸らせる場合も多い。『姿三四郎』の富田常雄などもそうである。
 反対に、武術に対する見識の浅い作家が、小説で武術を描写すると、吉川英治の『宮本武蔵』のようになってしまう。「敵は、血を噴き出して倒れた。」のように、攻防の描写が結果論的になり、強さの描写や成長の描写が観念的になる。
 同様に、歴史に造詣が深いが武術に対して見識の浅い作家が、史実の人物を描写すると、『伝説の天才柔道家 西郷四郎の生涯(星亮一・著/平凡社・刊)』のようになってしまう。武術に時間を費やしてきた読者からすると、淡々と歴史を追っているだけで、新たな発見や、武術的境地の絶妙な描写、血沸き肉躍る格闘や攻防の描写がない。
 
 津本陽に関しては、10代のときに『日本剣客列伝』『黄金の天馬』『鬼の冠』を読んでいるが、それ以降全く読んでいなかった。
 『孤塁の名人』の感想だが、合気道を指導している身からすると、「一度は実名を使わず合気道創始者の小説を書きあげておきながら、よくもまあここまで、植芝盛平と合気道のことを悪く書けるなぁ。」である。自分だけでなく、現在合気道の運営や指導に携わっている読者の大半は、同じ感想ではなかろうか。
 『黄金の天馬』に関しては、おそらく植芝吉祥丸への取材はあっただろうし、『鬼の冠』については、おそらく武田時宗か近藤勝之への取材は敢行しているであろう。植芝盛平へと同様に、武田時宗に対しても、蔑んだような価値観を露呈している。
 
 最大の問題点は、「合気をとっていない」津本陽が、「合気をとった」佐川幸義を描写したところで、どこまでの信憑性があるのか?ではなかろうか。言わば、自流の広告塔として、津本陽は利用されているだけかもしれないのだ。
 
 また、かつて津本陽は『鬼の冠』の中で、「壁抜けの術」と「気合で茶碗を割ること」について描写している。津本陽は、現在も「壁抜けの術」と「気合で茶碗を割ること」が現実に可能だと信じているのか書く義務があるし、おそらくこのような術理(またはトリック)ではないかと推理を発表すべき義務がある。また、佐川幸義に対して、この二点についての見解を問いただす義務があったし、問いただしたならば『孤塁の名人』内で発表すべき義務があった。もし、佐川幸義が二点について肯定的な意見を持っていたのならば、佐川幸義自身に「壁抜けの術」と「気合で茶碗を割ること」が可能であったかどうかを書く義務があった。「これは小説だから」と逃げてはいけない。ならば、「孤塁の名人」の内容じたいも小説(フィクション)なので、信憑性がない。
 
 ちなみに、「ワイングラスを(特定の周波数の)大声量で割ること」は、現実に可能である。
 
 
 
 今野敏の『惣角流浪』と『山嵐』に関しては、『武術ロマン』『格闘ファンタジー』として、かなり楽しめた。『惣角流浪』→『山嵐』と続けて読むことをお勧めする。
 
 マンガでは、『武蔵伝 異説剣豪伝奇(石川賢・作)』 や『忍者武芸帳 影丸伝(白戸三平・作)』などが、歴史上実在の人物を縦糸に、架空の人物を横糸に織りなすストーリーで、読者を魅惑させる好例と思われる。『陸奥圓明流外伝 修羅の刻(川原正敏・作)』の風雲幕末編・寛永御前試合編・西郷四郎編なども、同様の魅力を持っている。小説では、前述の『宮本武蔵(吉川英治・作)』も、同様の例となろう。
 
 それに対して、『惣角流浪』と『山嵐』は実在の人物をキャラクターとして作中で動かす訳だが、史実のエピソードを縦糸に、架空と思われるエピソード(武術ロマン)を横糸に織りなすストーリーとなっている。史実と架空の匙加減が絶妙で、ついつい小説の世界の中に引きずり込まれてしまう。
 
 例えば、武田惣角が、西南戦争に参加したくなり、実現はしなかったものの九州へ赴いたことは、ほぼ史実とされている。しかし、その内容については謎が多く、『惣角流浪』のように、九州で唐手家と戦い、さらに沖縄へ渡って糸洲安恒や松村宗棍と手合わせしたかはわからない。しかし、沖縄空手の使い手である今野敏でなければ描けない攻防であり、武術ロマンである。
 
 自分がむしろ血沸き肉躍ったのは、第三章の都々古別神社での武田惣角、嘉納治五郎、保科近悳(西郷頼母)の邂逅であり、そのシーンで治五郎と惣角、あるいは治五郎と近悳が、それぞれ武術観(武道観)を論じ合う。そして、攻防はともかく、結果的に治五郎の策に二人がまんまとはまる辺り痛快である。もちろん、史実ではなかろう。
 
 同様に第七章では、東京において、惣角と治五郎が再び出会い、酒を酌み交わしながら、治五郎は武術の真髄についてのヒントを得る。
 第八章では、武田惣角と西郷四郎と保科近悳(西郷頼母)の三人が揃い、頼母の指導のもと、惣角と四郎が組んで御式内の稽古をするシーンまで登場する。
 『武田惣角と大東流合気柔術(合気ニュース・刊)』の中には、武田時宗へのインタビューがあり、「惣角と嘉納治五郎先生は仲が良かった。」と発言しているが、これ以外のソースから、両者の親しい交流があったとの記載はあまり見当たらない。おそらく、東京でばったりと出会って酒を酌み交わしたりはしていないだろうが、武術ロマンである。むしろ今回の小説のように、同年代の治五郎の活躍を、惣角がライバル視、あるいは蔑視していた可能性は高い。大東流の仮想敵は、講道館柔道だったという説を主張する者もいる。また最近では、西郷四郎が大東流(もしくは御式内)を学んだこと、あるいは保科近悳(西郷頼母)が武田惣角に御式内を伝えたことは、否定されつつあるが、武術ファンタジーとしては面白過ぎる。
 
 さらに『山嵐』では、第四章で霊山神社において、頼母のもとに再び四郎と惣角が集い、手合わせをする。『姿三四郎』の読者からすると驚きであるが、今野敏の描写する治五郎、四郎、惣角の強さ関係を想像しながら読んでいくと興味深い。第六章でも、同様に三者は集い、御式内の稽古を行なう。
 
 史実に近い武田惣角と比較したければ、「惣角は実は武士の出身ではなかった。」とか、「惣角は、武田姓ではなく竹田姓であった。」とか、「西郷頼母は、惣角に武術を教えていない。」とかを主張している『合気の創始者 武田惣角(池月 映・著/本の森・刊)』を、読んでみるといい。
 
 
 『山嵐』が画期的だったのは、それまでの『姿三四郎』的西郷四郎像とは違う、新しい西郷四郎像を表現し、『伝説の天才柔道家 西郷四郎の生涯(星亮一・著/平凡社・刊)』とも違う、複雑な心境を持つ西郷四郎像を描写している点にあると思う。
 『伝説の天才柔道家 西郷四郎の生涯』では「現代の柔道を見ればわかるように、30歳も過ぎれば、体力も衰え、世界で一番であることは難しくなり選手は引退する。西郷四郎も、自分の衰えを悟って、次の道(大陸雄飛・ジャーナリスト的活動)へ進んだのだ。」と結論づけているが、そんな単純なものではないだろう。
 
 『姿三四郎』では、若き日の矢野正五郎(モデルは嘉納治五郎)と、姿三四郎はほぼ同じキャラクターとして描写されている(貧乏書生で、暴漢を投げ飛ばし、様々な女性から慕われる)。また三四郎は、正五郎の理想のため、組織のために命を賭して突き進む先兵(斬り込み隊長)として描写されており、どこか天皇のために米兵と戦う国民を連想させる。ところが『山嵐』では、師弟の柔道観の食い違いや、四郎の師への不信感や口答えが表現されており、師弟の性格の違いや、行動の食い違いの表現が見事だと思った。
 また、小説版『姿三四郎』も、映画版『姿三四郎』も、「四天王」を同年代の馬が合う四人組として描写しているが、この『山嵐』では、山田常次郎(富田常次郎)は頻繁に登場するものの、横山作次郎、山下義韶の二人はほぼ登場せず、四人の友情エピソードらしきものは、ほとんど見当たらない。
 姿三四郎は、会津出身の実在の西郷四郎を、綿密な取材により小説内で忠実に再現したと言うよりも、作者である富田常雄自身(柔道五段)の性格等を理想化したキャラクターと言ってよい。
 
 ちなみに、講道館四天王のひとり、山田常次郎(富田常次郎)の次男が、『姿三四郎』の作者・富田常雄であるが、外国にばかり行って家におらず、西洋かぶれした父親を、あまりよく思っていなかったフシもあるようである。
 
 
※余談ではあるが、文庫版『山嵐』の最後に、吉田秀彦の「解説」が掲載されている。これが「解説」に思えず、「読書感想文」に思えてくるのは、自分だけか?