『幸福論(PHP研究所・2006年9月22日第1版第1刷発行)』より。
 
「そして六五歳のとき、エベレストへの挑戦を決意したのです。五年という準備期間を設け、夢に向かって歩き始めました。確かに高齢であることは、登頂には大きなハンディキャップになります。八〇〇〇メートルを越えると、酸素は地上の三分の一になる。二〇歳の若者でも、頂上付近では八〇歳の運動能力になると言われています。七〇歳の私は、一五〇歳くらいになってしまう。しかも頂上に立つことができるのは一〇人のうちたったの三人。そして一〇人のうち一人は帰らぬ人になる。
 どうしてそんな過酷な挑戦をするのか。その明確な答えは、実は私自身にも分からない。頂上に大いなる幸福がある訳ではない。人間以外の動物は、決してあんな場所へ行こうとしません。もしかして、そこにあるのは死かもしれない。なのに多くの登山家がエベレストを目指す。もしその答えがあるとするなら、それは私たちが人間だからということになるでしょう。
 現に頂上に立ったとき、私は達成感や幸福感に包まれた訳ではありません。まず考えたのは、いかに無事に下山できるかということです。登山は登りよりも下りのほうが数倍も難しいものです。山岳事故の九割は下山のときに起こっています。
 自分の体重と三〇キロ近い装備。その三倍にも感じられる重さが下りのときにはかかってくる。そして薄い酸素と極寒との戦い。ロープに必死にしがみつきながら、せめて三分でも目を閉じたいという誘惑に駆られる。しかし、その行為は死に繋がってしまう。それでも休みたいと思う。このまま死んだほうが、どれだけ楽か分からない。眠ったように、ロープにしがみついたままの遺体も見たものです。」