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日岡神社、日岡山の麓にある。
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平荘湖第二ダム辺りから。右端が飯盛山方面だが、山頂は見えない。
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飯盛山山頂。
 
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アカタテハ?
 
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平荘湖と一ツ山。右上に輝くのは、加古川と播磨灘。
 
 
 加古川の陸上競技場(運動公園)に行ったときに気になるのが、西側の高御位山の美しさですが、反対方向の東側を眺めると、ちゃんと山道のありそうな低山が見えます。その山が飯盛山で、標高216メートルの加古川市にある山です。
 
 現在は古書でしか入手することのできない『はりま歴史の山ハイキング(横山晴朗・著/神戸新聞総合出版センター・刊)』と言う本があり、この本が出版されたのが2003年のこと。自分が、山歩きを再開して、興味を持ち始めたのは2012年頃からですから、もちろん古書で入手しました。現在、ネットで調べてみると定価の2倍くらいの価格となっており、ちょっと驚きました。
 今回は、その本の最初に紹介されている「日岡山から飯盛山へ」のコースを参考に、少し変更を加えて歩きました。
 
 日岡山は、加古川市にある標高50.9メートルの低山で、麓には日岡神社、山頂近くに日岡陵古墳(稲日太郎姫陵いなびのおおいらつめりょう)があります。地元では、大野山と呼ばれているそうです。日岡山から飯盛山までは結構の距離があり、山道を縦走する訳ではなく、車も通る一般道を歩くことは承知で、両方の山を歩くことにしました。
 山歩きを再開するまでは、「日岡山はプールのあるところ」程度の認識しかありませんでした。JR加古川線日岡駅で下車し、常楽寺から、日岡陵古墳(稲日太郎姫陵)を経て、日岡山展望台へと歩きました。この日岡山展望台も、ルーツを探れば多木化学の多木久米次郎に至るようで、加古川市と多木化学の縁は深いようです。この展望台から、飯盛山方面と加古川を見渡すことができます。天気がよければ東方向に六甲山系も見えます。
 下山後に、日岡神社に寄りました。主祭神の天伊佐佐比古命(あめのいささひこのみこと)が、気になります。と言うのも、播磨周辺には巨大な鹿、伊佐々王の伝説があり、これは神の使いの鹿かもしれず、その鹿じたいがシシ神のようなものだったかもしれないと推察するからです。イササヒコとイササオウ、何か関連ありそうです。
 
 それから加古川を目指し、河川敷のマラソンコースを歩き、池尻橋を渡り、西川(権現川)の小山橋を渡って、平荘湖第二ダムに出ました。平荘湖は、工業用水のためにダム等で作られた人造湖です。上記「はりま歴史の山ハイキング」では、当時「兵庫県立東はりま青少年館」だったところが、「平荘湖アクア交流館」に変わっていました。日岡神社から加古川に至る車道で、イタチとご対面しました。左右が田畑だったからいるのでしょうが、ちょっとうれしい気分になりました。
 
 平荘湖周辺の眺めを楽しみながら、アクア交流館と加古川市立少年自然の家の中間辺りで明らかに登山口らしきものが見えたので(一ツ山の付近にも登山口あり)、そこから登り始めました。岩場と土の山道が交互に現れ、楽しい道でした。書写山の東坂や、高御位山等を思い出させました。このルートでも、ノジギクらしき植物を見かけました。
 意外だったのは、飯盛山山頂からは、平荘湖が見えないこと。相ノ山等別の山塊が邪魔をしているせいでしょう。
 帰りは、アクア交流館すぐ東から下山しましたが、さらに第二ダムより東からも登山口はあるようで、いろいろなルートが楽しめる地域です。この下山に利用したルートは、平荘湖や一ツ山を眺望することができ、同じくダムで貯水池を作った姫路市の桜山周辺と似ています。帰りは、神姫バスのバス停「池尻ダム口」から、バスでJR加古川駅まで戻りました。
 
 次回は志方の城山(中道子山城跡)あたりを、歩きたいものです。
 
 
「日岡山」
 
 
 
 
 
 
「飯盛山」
 
 
 
 
 
 

※関連リンク先

「山歩き まとめ(改)」 
https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12624377490.html