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快晴ならば、これほど美しく見える大山(2006年9月23日撮影)。
 
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ガス(霧?雲?)で、近くしか見えない。
 
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大山(弥山)頂上。標高1710.6メートルとの表記だが、実際は1709メートル。
 
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濃いガスのおかげで、まるで雲の上を歩いているかのような気分に。
 
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大神山神社奥宮。雨で濡れた石畳と石段が最高。
 
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大山寺。疲労で水平に撮影できていないのは、御愛嬌。
 
 
 大山(だいせん、伯耆富士、伯耆大山とも)は、鳥取県にある標高1729メートルの山で、鳥取県の最高峰であると同時に、中国地方の最高峰でもあります。日本百名山、日本四名山、日本百景、中国百名山に選定されています。最高峰に該当する剣ヶ峰(けんがみね)が標高1729メートルであって、今回登る弥山(みせん)は標高1709メートルです。山頂標識には、標高1710.6メートルとありますが、現在の測量では1709メートルとのことです。一般登山客の最高峰は、弥山としてよいでしょう。振り返れば、私の住む兵庫県の最高峰が、鳥取県との県境にある氷ノ山で、標高1509.6メートル。それよりも、弥山は高いことになります。剣ヶ峰方向への縦走は、土砂・岩石の崩落が激しく禁止されています。明治の中頃までは、一般人の大山への登山が禁止されていたことを考えると、弥山まで登れるだけでも素晴らしいことです。
 
 
 今回、大山を登るにあたって、私には二つほど思い入れがありました。まず一つ目は、高校時代に学校行事の野外活動として、大山(弥山)を登頂していることです。当時の資料を確認すると、7月28日に登っており、今回と全く同時期です。大山ホワイトパレス午前4時起床でバス移動、朝食抜きで登らされています。記憶が曖昧ですが、登りも下りも夏山登山口だったと思います。やたら、喉が渇いた記憶がありましたが、天候についてはあまり思い出せませんでした。雨が降っていないことは間違いありませんが、このたび当時の写真を見直してみると、さほど晴れていた訳ではないことが判明しました。曇りだったのでしょう、当時の日記にも「涼しくて良かった。」と記しています。よく覚えているのは、大山山頂には電線も鉄塔もありませんから、氷水に入れた缶ジュースが高額で売られていたことです。よほど私は、喉が渇いていたのでしょう。
 思い返せば、私の学年の担任教師の一人である数学教師(のちに同校の校長となる)が山男で、その先生の影響なのか、同年4月11日に、「遠足」と称して国鉄曽根駅から歩かされ、鹿嶋神社周辺(鷹ノ巣山山麓)をトレッキングさせられています。私の記憶が正しければ、展望台までは行っています(すみません、執筆後写真を再確認していると、高御位山の長尾の西側尾根かもしれません。百間岩下の展望台と両方寄った可能性もあります。)。このトレッキングを踏み台にしての、大山登山だったのでしょう。一つ目のテーマは、『あのときの自分に、逢いに行きます』。
 
 私は、諸般の事情で10年間ほど山歩きを中断していましたが、約3年前に再開しました。ブログとしては、桶位山(おけすけやま)からです。一番最初に屋久島トレッキングをする1999年に登山靴を買い、屋久島の予行演習に靴を使ったのが、六甲山アイスロードでした。15年前に購入したその靴が、いまだに現役なのです!靴の裏は、摩耗してツルツルになり、踵は擦り減って靴底補修剤で応急処置をしています。自分の足の形に馴染んで、自己の体の一部のようになっていますが、山頂で破損して歩けなくなるようなことは、避けねばなりません。この靴とともに最後に大きな山を楽しんだ上、来年3月頃復旧予定の六甲山アイスロードを登って隠居してもらう予定です。二つ目のテーマは、『マイシューズへ、ご褒美の大山を』。
 
 前日、米子方面まで出ることができず、鳥取周辺に宿を取りました。マイカーやレンタカーは使用していないので、5時26分の始発でJR大山口駅まで行き、日光路線バスで大山寺バス停まで行きました。バス停から8時18分に歩き始めて、夏山登山口から登りました。2年前の夏に那岐山を登りましたが、自分が宿泊して、兵庫県外の1000メートル以上の山を登ろうとすると、二度とも悪天候と言う結果です。かなりの曇り空です。自分にとっての登山の醍醐味は、展望に感動し、デジカメで撮影して美しさを切り取って持ち帰ることにあるので、残念でした。しかし、高校生のときもそれほどの天候ではなかったことが、下山後帰宅してのちに判明します。
 ちょっと驚いたのが、小学校低学年や中学年の男の子・女の子が、父や祖父と一緒にどんどん登っていくことです。地元の方々なのかもしれませんが、この程度の曇天ならば、夏山登山コースは安全なのかもしません。
 
 10時41分に山頂へ着きましたが、あまりのガス(霧?雲?)に、何も見えません。画像の通りです。すぐ下に避難小屋があるのですが、それさえ見えない濃さでした。山頂で休息し、パンをかじっている間に、水分がまつ毛に結露して、水滴になっていきました。他の方が、山頂の気温は8℃と言われていました。その状態で、キメの細かいミストを浴び続けていたのですから、いい心地でした。展望は残念でしたが、熱中症になりにくかったと言う意味では、ラッキーだったかもしれません。また、大山頂上周回木道は、高校生のときにもすでに存在したと記憶しています。今回は、ガスで全く下方向が見えず、4枚目の画像の通り、まるで雲の上に作られた道を歩いているかのような、幻想的な気分が味わえました。
 
 下山時は、行者谷分かれから行者谷コースを選びました。元谷付近の砂防ダムと膨大な土砂・岩石の量には、圧倒されました。2年前の那岐山登山時と同じく、途中雨が降り始めてあせりましたが、あのときほどの雨量と風の強さがなかったので助かりました。
 
 実は、前回登った摩耶山には、大山登山へ向けて事前に筋力と心肺機能を高める目的がありました。それだけではなく、摩耶山は大山と同じく、古くから山岳信仰の対象だったと言う共通点があります。そして、トレッキング的に正解なコースも、歴史探訪や霊地体験としては、誤りがあることに気づきました。初めて訪れる神社・仏閣や御神体は、参道(三道)を登りながら精神が高揚していくものであって、山頂から下山していきなり奥の院や、本堂へ至るのは興ざめなのです。摩耶山登山時と同じく、山頂→元谷→大神山神社奥宮→神社へ至る石畳(参道)→大山寺→仏閣に至る石畳(参道)のコースでは、歴史を噛みしめる意味、山岳信仰の霊性を感じる意味において不正解です。最近整備されて隙間もなく、凹凸もない大山寺までの石畳と、古くから存在し、ゴツゴツの凹凸や隙間があり、苔むす大神山神社奥宮までの石畳が、あまりにも対照的で面白かったです。おそらくハイヒールなどを受け付けない、神社までのワイルドな石畳が雨で濡れて、苔も生き生きとしている様子は、素晴らしかったです。約700メートルあり、自然石を敷き詰めた道としては、国内最長だそうです。やはり、登ってから下りるべき石畳でした。
 
 参道一番下の土佐屋で、「大山そば」をいただきました。関西人からすれば茶色く見えるつゆでしたが甘味が効いていて、疲労しきった体には、ものすごく美味しかったです。ごちそうさまでした。
 
 難易度と疲労度から考えると、私の場合、大山(弥山)や雪彦山よりも上級の山を目指すべきではないと考えています。大山と那岐山については、晴れた日に絶景を拝めるまで、夏季に毎年挑戦したいものです。
 
 
大山
 
 
 
 
 
 
 
大神山神社
 
 
 
 
 
大山寺
 
 
 
 
 

※関連リンク先

 「山歩き まとめ(改)」 
https://ameblo.jp/musyaavesta/entry-12624377490.html