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仁寿山登山口にある「河合寸翁と仁寿山校(仁壽山黌)」の表示。
 
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同じく仁寿山登山口の石碑。
 
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現存する土塀跡。経年による破損を感じる。
 
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反対側から、土塀跡を見る。竹藪にあるのがわかる。
 
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仁寿山校の井戸跡。
 
 
 前回は、姫路市兼田の「河合家墓所」へ生きました。
 
 このたびは、姫路市奥山の「仁寿山校(仁壽山黌)」です。
 
 姫路市の財政再建に取り組んだ河合寸翁(河合道臣)は、仁寿山(仁壽山)の麓に私塾を開きました。
 あの頼山陽なども、講師をつとめたようです。
 
 
 頼山陽は、姫路市の景勝地、「小赤壁」の命名者でもあります。
 
 
 仁寿山と言う名も頼山陽が改名したようで、それまでは幡下山(はたしたやま)と呼ばれていたようですね。やまとことばから、漢語に変わったようなものです。
 
 財政再建のあと、人材育成・人間形成ですね。素晴らしい志です。
 
 看板(案内表示)は新調されたようですが、こちらの史跡も保存状態等から見て、姫路市全体から考えると、それほど重要視されていないようです。