『失意と僻みと欲望と焦りと裏切りと
  詮索と苦笑い照笑い
  そう僕を取巻くあらゆる自由でないものに』
 
 『真実は一つなのか
  何処にでも転がっているのかい
  一体そんなものがあるんだろうか
  何も解らないで僕はいる』
 
 『本当の幸せと本当の喜びを捜し求めよう
  偽りの言葉にまどわかされないで
  思った道を歩こう』
 
 この歌詞に目を通して、尾崎豊か、もしくは尾崎豊の影響を受けた誰かの歌詞だと思った方がいるのではなかろうか?
 実は、この歌詞は尾崎豊よりも8年前にメジャーデビューした河島英五の初期作品で、ひとつめは『さよなら』と言う曲、ふたつめは『てんびんばかり』と言う曲、みっつめは『出発』と言う曲である。両者の年齢には15年近い差があったが、現在では二人とも鬼籍に入っている。
 
 尾崎豊は、佐野元春や浜田省吾、ブルース・スプリングスティーンやジャクソン・ブラウンの曲を聞いていたことを自ら公言しており、その影響を受けていることは間違いない。また、1980年代は村上春樹や村上龍の小説を読んでいたことが明らかになっているし、復活後の1990年代には、吉本隆明の共同幻想論について言及している。
 自分の文章では、過去に尾崎本人の意向はともかく、「早熟の天才」的プロデュースをするにあたって原田真二が参考にされたのではないかと言う内容と、尾崎豊の影響を受けた原田龍二のことについて書いたものがある。
 
 
 今回は、「公言はしていないものの、尾崎豊は、河島英五から何らかかたちで影響を受けたのではないか?」と言う推察をしてみた。

 1980年代以降で考えると、やや抽象的とも言える「自由」や「愛」や「真実」について歌詞やMCで語りかけ、思索し続けてきたアーティストと言えば尾崎豊との位置付けは、間違いない。
 しかし、「自由」や「真実」については、1960年代&70年代フォークソングでも語られ続けてきたはずであり、最終的にはフォークから脱皮していったとも思える河島英五の初期作品には尾崎豊と同じ目線からの叫びを垣間見ることができる。そして、それらの作品に尾崎豊が一度も触れることがなかったとは、自分には思えない。
 
 逆に両者の差と言うものを考えてみると、河島はスポ根世代に該当し、尾崎はスポ根世代に該当しない点が大きい。「巨人の星」と「タッチ」くらいの差はある。河島は歌詞の中で、「男ってものはなぁ」的な描写をくり返すが、尾崎の歌詞には「男だから涙を見せちゃいけない」とか、「男だからど根性で乗り切る」のような視点がない。むしろ、「弱音」や「甘え」、「自虐」や「諦観」を感じる場合も多い。
 もう一点は、尾崎の場合、「都会には、問題や矛盾も多いが、それでも、都会で生きて行かなくちゃならない。それでも、都会のうす汚さが好き。」と歌いあげる場合が多いが、河島の場合は、世界各地を放浪した経験や四国お遍路の経験もあり、自然や未開の地への畏敬の念、様々なところで暮らす庶民の視点も歌いあげている。

 今まで何度も述べてきたように、河島英五のように酸いも甘いも知り尽くした上での50代の尾崎豊がどのような作品を発表できたのか、鑑賞してみたかったものである。現在のワーキングプアや原発問題を見て、どんなコメントを残し、どんな音楽を残したのだろうか?

※未確認情報ではあるが、自分の配偶者によると、河島英五はかつてラジオ番組の中で、「新幹線の中で、尾崎豊君と出会ったことがある。礼儀正しい好青年だった。」と発言していたとのこと。内容を信用すれば、両者の間に全く接点がなかった訳ではないことになる。