一枚目の画像、暁の月光。実際には、もっとシャープでクリアだが、普通のデジカメで、通常の撮影方法を取れば、おぼろげに写る。 
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 二枚目の画像、東の空の暁(あかつき)。
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 三枚目の画像、日出(にっしゅつ)直前。
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 四枚目の画像、ご来光。
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 五枚目の画像、日は昇る。
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 塩田剛三のインタビューや、加来耕三の著作を読んで、以前から気になることがあった。それは、合気道開祖・植芝盛平、塩田剛三、関西相撲の天竜三郎(和久田三郎)が、月明かりのみで山を登り、そこで月光の下、真剣を用いた稽古を繰り返したエピソードである。
 文字を追うことで、だいたいのイメージは湧く。しかし、人工の光に頼らず、月明かりを頼りに山を登る感覚、月明かりで妖しく光る真剣を扱い、目前に刃が迫る感覚と言うのは、実際に体感しなければ理解できないのではないかと思った。イメージと実感の差異を埋められないものかと思った。

 しかし、現代の日本で闇夜に真剣を持ち出して、独り山を登り始めるシチュエーションと言うのは、いろいろな意味でリスクが高過ぎる。月光を頼りに山の頂上を目指して歩くことぐらいなら、体感できそうである。しかし、私は少年時代、ボーイスカウトに所属していた訳でもなく、学生時代にワンダーフォーゲル部に所属していた訳でもなく、アウトドアに関する知識は、ほとんど持ち合わせていない。危険を回避しつつ、このような体験は可能なものかと考えた。そして、登るための条件をいくつか考えてみた。

①以前に、昼間登ったことのある山であり、ルートに迷うことのないこと。
②スズメバチや、マムシによる危害の少ない冬山であること。
③冬山ではあるが、山道の凍結や積雪による滑落の心配のない日であること。実際のところ、岩肌が夜露に濡れているだけでも危ない。
④十分な月明かりを得るため、半月よりも月が大きいこと。
⑤月が山の裏側に位置して、月明かりが届かないケースを少なくするため、できるだけ月の位置が高いこと。
⑥月明かりが、山道まで届くように、晴天の夜間であること。
⑦沢や沼や池の近くを通らないこと。
⑧何か事故があったとき、山で夜を越すようなことがないよう、日の出前の早朝から歩き始めること。
⑨非常時に、携帯電話の電波の届く地域であること。

 森が深く頭上を覆っていれば、月明かりは届かない。逆に低木の多い山は、月明かりの恩恵は受けることができるが、岩肌が露出しているところが多い。以上の条件を満たす山と時期は、なかなかありえないのだが、最も親しみのある、私の自宅から近い標高170メートル程度の山に挑戦してみることにした。この山ならば、頂上でも携帯電話の電波が届く。

 この山は、麓に神社、頂上に寺院がある。神社で無事に登頂できるよう、祈願してから、2011年12月15日、午前5時40分、登山開始。冬至は12月22日だったので、日出の時刻は遅い(午前7時前)。目が慣れてくると、確かに月明かり程度で、山歩きはできるものだ。樹木が頭上に茂っていれば、確かに完全には足下は見えない。しかし、足裏の感覚を鋭敏にしつつ、上へ上へと足を運ぶ。月明かりを友に、木刀を背負い、たった独り山を登る感覚と言うのは、確かに実際にやってみないと、理解しにくいものであった。鳥や獣が驚いて、声を上げたり、藪がガサガサと鳴るようなことはなく、予想以上の静けさの中で、自己の呼吸音と足音だけが響き渡る。冬の冷たい空気の体内への出入りが、銀色の月光とともに、全身の感覚を研ぎ澄ます。月と冷気の透明感。

 無事、頂上に辿り着く。まだ、夜は明けていない。足の裏がやや滑ることは何度かあったが、転倒することはなかった。山頂には平地に近いところがあり、南側への視界が広がっており、播磨灘が一望できるが、あまり端まで迫ると滑落のおそれがある。天空から水平線を垂直に斬り下げるイメージで、大きく息を吸い込み、吐きながらゆっくりと木刀を振り降ろす。以前に「非言語系(動物系)」について述べたことがあるが、今の私は「動物系」の機能全開の状態。言葉は要らない。ただ動物であり、ただ生命であり、ただ自然の一部である。この時期は、さすがに動いていないと寒い。しかしよく考えると、登山靴で木刀を振り回し、山頂なのに平地とは、いろんな意味でミスマッチ。

 そのうち、東の空が白み始めてくる。まだ、鳥はさえずらない。その空のグラデーションで、どの辺りから日が昇ってくるのか見当がつく。ただ、この山の頂は、南の方角と比べて東方向に視界が開けておらず、松の木等の合間から、遠き山と霞と日の出前のオレンジ色の光を、のぞき見るかたちとなる。ちなみに、大気中の不純物(エアロゾル)が多いほど、朝日と朝焼けは赤く見え、澄んだ空気であるほど、朝日は黄色く見える。グラデーションの変化を見る時間と比較すると、太陽の一番上部の端の光がキラリと見えてから、太陽全体が姿を現すまでの時間は、異様に短い。夜は明けた。

 「頂より
    見下ろす朝を
        独り占め」
 
 「しろがねの
    月に照らされ
        冷えし靴」

 はたして、塩田剛三らは(京都の鞍馬の某奥の院への道だったらしいが)、もっと勾配のきつい山を登っていたのであろうか?「山道(さんどう)」と「参道(さんどう)」では、どちらに近かったのであろうか?
 もっと高い山を登っていたのであろうか?
 森は深くなかったのであろうか?
 野犬や熊やマムシには遭遇しなかったのであろうか?
 月は満月だったのであろうか?
 草履や草鞋を履いて登ったのであろろうか?
 登った季節は晩夏だったんだなぁ、しかも、一日ではなく毎日だったんだなあ、などの思いにふけりつつも、その片鱗程度は今回の体験で実感できたと思った私であった。