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 「なぎなた その6」において、戦前の古流武術としての「薙刀」から、新しい「なぎなた」が誕生したことについて、述べました。かつて、防具稽古の発達によって、「古流剣術」が流派の垣根を越えて「剣道」を成立させた例にならい、昭和20年代から30年代にかけて、「古流薙刀術」から新しい「なぎなた」を成立させた訳です。杖道のように、全日本剣道連盟内に「なぎなた」を存続させる選択肢もありましたが、「なぎなた」は全日本なぎなた連盟を発足させ、独自の活動による発展を模索します。

 この辺りの事情が面白いのですが、「剣道」は、「古流剣術各流派」を統合することで、発展・誕生したように捉えてしまいがちです。しかし実際は、中西派一刀流、直心影流、北辰一刀流等の流派が主として「剣道」を確立したのであって、最後まで、竹刀稽古をよしとせず、型稽古を繰り返し、現在に至る流派も多数存在した訳です。有名な柳生新陰流なども、ひきはだしない(袋竹刀)の開発などで、稽古法としてはエポックメイキング的な存在ですが、竹刀稽古や、その競技化をよしとしなかった流派と言えます。
 同様のことは、新しい「なぎなた」にも言え、「天道流薙刀術」「直心影流薙刀術」「戸田派武甲流薙刀術」「楊心流薙刀術」等の各種古流なぎなたを総合して作られたように謳われています。しかし実のところ、戦前に師範学校で薙刀の指導者を育成した「天道流薙刀術」「直心影流薙刀術」の二大流派の人物が主となって、「なぎなた」は作られ発展してきました。「戸田派武甲流薙刀術」は、薙刀対薙刀の型を有しており、新しい「なぎなた」を編成する上で大いに参考にされたそうです。一般人が「薙刀」と聞くと、婦女子が殿中を小走りで走る姿を想像する場合があります。「楊心流薙刀術」は、本当に振袖姿で小走りするような型を演武します。
 振り返ってみれば、合気道も「起倒流、柳生流、大東流などの幾多の武術を修行した開祖が創始した新境地の武術」と説明されることが多かったのですが、技術的側面だけに焦点を当てれば、大東流以外の古流武術の影響を具体的に指摘するのは難しい状態です。事情は、よく似ていると思います。

 その新しい「なぎなた」の母体となった二大流派ですが、現在の修行者でも高段者となった場合、「天道流薙刀術」「直心影流薙刀術」のいずれかを修行する場合が多いです。また、新しい「なぎなた」発足当時の指導者は、「天道流薙刀術」もしくは「直心影流薙刀術」のいずれかを使える人間でした。
 両者の違いですが、「天道流薙刀術」の薙刀のサイズは、現在の新しい「なぎなた」のなぎなたとほとんど同じサイズであり、対する「直心影流薙刀術」は、より小さなサイズの小薙刀を使用します。結果として、通常の構えにおいて「天道流薙刀術」や新しい「なぎなた」は、後ろの手より柄がはみ出たかたちで握ることとなります。この後ろの手よりはみ出た部分の長さがちょうど、肘から手までの長さとなり、専門用語で「前膊(ぜんぱく・ぜんはく)を残す」と表現します。対する「直心影流薙刀術」は、薙刀が短く、重心も違うので、後ろの手で薙刀のほとんど端を持つような握り方をします。つまり、前膊を残しません。また、短く軽いので、片手持ちになるようなシーンも型に多く残されています。「天道流薙刀術」の技術は、現在の「なぎなた」に応用しやすく、「直心影流薙刀術」と現在の「なぎなた」の理合は、広い意味では同一、細かい意味では異なると言うことになります。例えるなら、「直心影流薙刀術」と現在の「なぎなた」は、技術的に「大東流合気柔術」と「合気道」くらいの差があるかもしれません。

 また、「天道流薙刀術」は、演武のとき、剣を持つ側が籠手をはめています。これは、剣が打とうとするとき、刃で小手(指や手の甲も含む)を止めて、そこから突く技術に長けていると言うことです。必然的に、鍔のある木刀を使用せざるをえません。「直心影流薙刀術」の方は、自己の気を吐き切るような強い気合いに特徴があります。「品格の天道流、気風の直心影流」と言ったところでしょうか。

 前回の「なぎなた その8」において、剣道や相撲の「蹲踞(そんきょ)」、合気道の半身半立ちの構えに該当する「折敷(おりしき)」について説明しました。この「折敷」のときに、前脚の膝(左膝)を地に付き、後脚の膝(右膝)を地から浮かすのが、「天道流」の流儀、後脚の膝(右膝)を地に付き、前脚の膝(左膝)を地から浮かすのが「直心影流」の流儀となっています。袴が暗色でわかりにくいかもしれませんが、画像その1が天道流の折敷、画像その2と画像その3が直心影流の折敷です。

 最後に、現在のなぎなたの道衣を見れば、その師匠のルーツが、「天道流薙刀術」にあるか、「直心影流薙刀術」にあるかを判別できる方法が存在することについて述べておきましょう。これは、本人が意識している、していないに関わらず、その本人の師匠、さらにその師匠と遡っていけば、どちらの系統だったかが理解できてしまうと言うことです。(もちろん、複数の指導者から薙刀を学んだ方も多いので、絶対的なものではありません。)袴が暗色のため、適当な画像が見つかりませんでしたが、下記リンク先のように、袴の帯を十文字結びしていた場合、そのルーツは「天道流薙刀術」です。

 http:// www.kim ono-tai zen.com /wear/w _hakama .htm

 そして、下記リンク先のように、袴の帯を結び切りしていた場合、そのルーツは「直心影流薙刀術」です。

 http:// bakagae ru.obih imo.com /oyo/hh im.html

 さらに、上に着る道衣の袖に、下記リンク先手前の演武者のように、ゴムが入っている場合があります。これは、もともと防具稽古時の打撃から肘を守るために、そのときだけ肘を隠すように考案されたもののようですが、こちらを採用している場合、その道場のルーツは「天道流薙刀術」にあるようです。

 http:// www.dep orte.ne .jp/up_ img/clu b/phpaW 7eYs.JP G 
 
 以上のような考察から、下記リンク先2つの画像は、「天道流薙刀術」と推察され、 
http:// oldphot osjapan .com/ja /photos /529/jo shigakk o-nagin ata-ren shu-2c. jp/exhi bition/ 1031/m_ ph_1031 -0024.h tml 

 下記リンク先は、「直心影流薙刀術」の型、「切威(きりどめ)」を演じているのではないかと推察されます。

http://www.hyogo-c.ed.jp/~kaibara-hs/gaiyo/100nen/26.htm