テレワークに成ってしまう前。

 

 

泊りで仕事をしていた私は先生と二人だけの日も有り、そんな時に色々な話をしていました。

 

 

その時に「…だからばちがあたったのかなぁって思って。」と私が言った時、先生が言いました。

「ばちなんか当たらないよ?神様はばちなんか当てない。そんなの無いから。」と。

 

 

凄く元気が出た気がしました。

 

 

 

 

そんなコトが有ったのですが、今日父がお薬手帳を見失ってしまい、真剣に探しながら「おっかしいな…ねぇ…おっかしいなぁ…薬手帳がみつからねぇ…どっかいっちまった」と母と私に言い続けていました。

 

 

私は心の中で「いつも医者行くのに薬手帳持ってね、って言うと、あんなのいらねぇんだ。使わねぇ。もらう薬はいつも決まってるんだ。って言い続けていたから隠れちゃったんだよ。」と思って聞いていました。

 

 

そしてふ…と。

「あれ…今の原理だと『ばちが当たった』ことに成るよね…」と思い、先生の「ばちは当たらない」という言葉を思い出し。

「お薬手帳が見当たらないのは、いさもぞんざいに扱っているから適当なところに置いてて、だから置いた場所を忘れただけだな。こういうのはばちじゃなくて自業自得って言うんだ」と思いなおしました。

 

 

 

父はよくお箸を落とします。

 

そのたびに「畜生!!!又落ちやがった!!!」と悪態をつきます。

 

父にとってはお箸が勝手に落ちると怒っているのか、でも、落としているのは自分です。

 

 

年を取るとモノを何気なく持つと力が入らずに落とすようになるのです。

かくいう私も最近良くモノを落とす。

 

 

でも、父は怒るのです。

 

まるで何かの力でお箸が落とされているーとでも言いたそうに。

 

 

でも、それは自業自得(ある意味)で有って、決して何かの力でもなければお箸のせいでもない。

 

 

 

つまりはそういうコトだなーと思いました。

 

 

悪いことがあると、人は理由を探す。

 

 

だから「ばち」に収めるのかなと思いました。

 

 

 

人は大きな病気をすると「ばちがあたったんだ…」と言います。

 

 

でも、病気は遺伝子レベルで発症するものは防げないし、生活習慣で起こすのならば自分が招いたものです。

 

 

けっして「ばち」では無い。

 

 

「ばちが当たった」と思い込む人は、きっと心の奥底で「自分はばちがあたるコトをしてきた」と思っているのではないでしょかね?とか思います。

 

 

 

 

 

 

余談ですが、自業自得ではない出来事に関しては、多分マイナスの裏に学ぶべきプラスが潜んでいると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

思うのですが………

 

 

 

なかなか辛さには耐えられないです。

人間ですから。