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ゆなの自己紹介です虹

お読みいただけましたら幸いです🌸












「子どもは親を選んで産まれてくる」と

よく耳にしますが

娘を見ていると納得してしまいます




2020年、娘は
中度知的障害という診断を受け

療育手帳を取得しました






娘は私を”強く優しいひと”に
成長させてくれました。


私と娘のここまでの道のりは険しかった…
ふたりで、どれほどの涙を流しただろう。




産まれた時から

娘はとても敏感な子で

私と私の母以外には抱っこされませんでした




地域の子育てサロン
サロンで知り合ったお友達の家
どこへ行っても私のそばから離れず
人見知りが激しく泣いてばかり

元夫に抱っこされるのも

時間を要しました






幼稚園・小学校と
行きたがらず毎日泣いて登校
緊張のあまり校門で嘔吐したり
教室に入れないことも多々ありました。
※これも全て障害の特性だったのです。


日々、学校への送迎・連絡
娘の心のケア
登校できない日は
「すみません…」と平謝り。



学校・保健所など相談機関に
相談するけど答えは決まって

「お母さんの愛情で包み込んであげてください」

「もう少し様子をみましょう」

こんな状態が何年も続き
私は追い込まれていくのみでした。






”こんなに苦しいなら、もういいんじゃない…”


娘が小3の1年間

私は死ぬことばかりを考えていました。




家の中も暗くなる一方。

理解しているつもりでも
感情の整理ができないでいた元夫は
些細なことで
娘を叱責したり、手をあげることも…


叩かれて泣いている娘を見るのは
辛くて辛くて
たまらなかった

娘を守りたくて
元夫と口論になる
大好きだった夫を憎みはじめる
あんなに大好きだったのにね…




小5のある日、娘が
「もう、学校に送らなくて良い」と
はじめて言葉にして伝えてくれた。


その時
あたり前のことだけど
「娘の人生は、娘のもの」

それと勇気がいったけど
「みんなちがって
みんないいをやってみよう!
この子が元気で居てくれたらそれで良い」

このふたつを守っていこうと決めたのです。




私の言動が変化していくと
娘も少しずつ変わっていきました。


このあと数年かけて
娘は障害者手帳を取得することになります。



私の18年という時間
子育てにすべてを注いできました。
(今も進行形です)
息子は5年間不登校でした。




子育てが少し落ち着いた今
私には夢ができました🌸


それは、私が孤独だったので
ひとりで悩みを抱える方が
集える居場所つくりです🌈


独りは辛すぎますもんねあせる

そのことを
嫌というほど
味わってきたから

あたたかい居場所をつくりたいです🌈



私ひとりではなく
居場所を必要としてくださる方々と
作っていけたら本望です✨





ゆなブログで書くことが
娘と私の日々が
誰かのお役に立てたら
誰かの明日に繋がったら
こんなに嬉しいことはありません。









この世に生を受けたのだから
みんな幸せになってほしい
幸せであってほしい

それが私の願いです🌸






どうぞ
ゆなブログを
よろしくお願いします照れラブラブ