友達が されているのは 愛のキス 私のやつは おぞましいこと「寝ている私に、パパがそっと部屋に入ってきて、おでこにチューしてくれるの」って友達が嬉しそうに言ったとき、どこの家庭も同じなんだな、と勘違いしました。
そして、あれを嫌だと思う自分がおかしいんだな、って。
友達がされているのは愛のこもった「おやすみのキス」。
自分がされているのは「性虐待」8才の自分は、違いに気づけませんでした。
母親が「あなたのことが可愛いから触るのよ。それを嫌がるなんて、酷い子ね」って言っていたから。
周囲も「好きだから触るんだよ」って言いました。
「言ったのに誰も助けてくれなかった」
この恨みは消えることはないだろうし、消す気もない。
分からなかったとはいえ、知らなかったとはいえ、戦わなかった自分が誰よりも憎い。
引用元:虐待和歌@ 友達が されているのは 愛のキス 私のやつは お・・・
寒くて長い廊下を歩いて、軽い扉の前に立つ。入るのに躊躇する。
中にいるのは、どんな人なんだろう?
何を聞かれるんだろう?と。
そもそも、なんでこんな所に来ることになったんだろう。
社会人になって、数年で会社を辞めた。
売り上げ成績はトップだったし、やりたかった企画にも携われた。
週末は会社に寝泊まりして、土日を会社で仕事して過ごした。
ブラックとも思わなかった、やりたいことを会社の金でやらせてもらってる、と思っていた。よくできた奴隷だったかもしれない。つまり、楽しく働いていたんだ。
けれど、周囲の皆が「売り上げ」を上げるために全力を尽くしてないのは不満だった。何より、商品の売り方に「ウソ」が混じっていて、それに猛烈に嫌気がさした。
今思えば、どんな仕事にも「ウソ」はある。
「ウソ」を買いたい人だっている、そういうことが分からなかった。
転職した会社で、ある日唐突に言われた。
「君さ、ACだと思うから、カウンセリング行ったほうがいいよ」
その一言が、カウンセリングとか、アダルトチルドレンとか、虐待とか、共依存とか、そういうものを知るきっかけになった。
そして知るたびに、自分はいつかカウンセリングに行く日が来るのか?と思ってはいた。だけど行きたくなかった。別に必要も感じていなかった。
誰だって思い出したくない過去はあるだろう。
なぜそれを初見の、信用できるかわからんカウンセラーとかいう偉そうな奴に話さなくっちゃいけないんだよ、と思っていた。今も少し思う。
私の過去を知っている人には意外かもしれないが、私は自分が虐待されていた、としっかり認識していなかった。
記憶はあったけど、水瓶みたいなところに入っていて、わざわざ覗きに行かない、そんな感じ。
それが、子供が生まれて少し変わった。
どうやら、自分が育った環境は、いわゆる「育児」としてありえない環境だったらしいぞ、と気づいた。
そこから紆余曲折あり、今この扉の前に立っている。
「カウンセリングに行ったほうがいいよ」と言ったあの人は、こうも付け加えた。
「行くなら、助けてほしい、自分がよくなりたい!と思っていかないと意味ないよ」
なんだそりゃ、カウンセラーって、こっちの言いたくもないことをズケズケ偉そうに聞いてきて、命令してきて、それに従っていたら、嫌だけどよくなるんじゃねーの?それが仕事なんでしょ?と思ってた。
妙に薄くて軽い扉を開けると、可愛らしい女の人が立っていた。
こっちに気づくと、はにかみ笑顔で「こんにちは、どうぞこちらに座ってください」とソファーに案内してくれる。
カウンセラーさんと僕の カウンセリングの日々が始まった。
引用元:カウンセラーさんと僕#1




