最近スピリチュアル界隈をにぎわせているアセンションという言葉。
いろいろとその手のサイトを調べると、次元上昇という意味合いであるということが出てきます。
3次元から5次元に向かうだとか書かれていますが、正直どういう状況となるのかわかりません。
以下、http://www.jp-spiritual.com/より引用。
アセンション(次元上昇)とは
アセンションとは、三次元から五次元へ移行することです。 物質世界から意識世界(Consciousness
World)への昇華(しょうか)になります。 物質世界の重い波動を超越して、軽やかな、あるがままの自分に戻ることです。
なにも特別なことではありません。 言われてみれは「なんだ、そんなこと」とつぶやかれるれるのがアセンションの信実です。
しかしながら、「そんなこと」に行き着くまでに、多くの経験を乗り越え、意識の変革を達成しなかればなりません。
アセンションとは、少しも難しいことではありません。
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悪い想念で汚した地球を元に戻すこと、これ以上の環境を汚さないこと。
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人間の個人のレベルでいえば、心を、魂を磨くこと。
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自分の欲望ばかり追求するのではなく、多くの人と分かち合うこと
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獲得したものを独占するのではなく、広く共有すること。
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広く動植物を慈しみ、その生態系を保存して、子々孫々に伝えること。
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日光、空気、水、食物に感謝して、自他の生命と人格を最大源に尊重する。
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日々を楽しく、感謝に満ちて、ワクワク暮らすこと
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自分が魂であるという自覚をすること
そもそも、昇華とは心理学や倫理などで使われる言葉で「防衛機能」の意味合いを持ちます。
社会的にどうしようもない制約や、達成できない目標に対する葛藤、そうした欲求を、「社会に認められる形」で別の目標に転換し、自己実現を図ろうとする欲求のことです。
たとえば、攻撃的な衝動をスポーツに向けたり、性的衝動を芸術に向けたりすることです。
(この場合、向けた先の結果は、社会的に整合性の合う形で達成されなければいけません)
物質世界の重い波動、というのは、彼らがよく使うマイナスのエネルギーであるとか、引き寄せの法則(ザ・シークレット参照)に反するものでしょう。
しばしばアセンションには、こうした目に見えないエネルギーの存在が謳われますが、それらは光であったり、虹色をした何かであったり、声であったりとしてそれぞれ個人差があるように感じます。
そして箇条書きで書かれている文章は、一部を除けば「至極まっとうな意見」です。
人間として過ごすには、信条として存在してもいい内容です。
信じるものは救われる、とよく言いますが、信じていれば願いがかなうのは実際に海外で実験されたことがあります。念じて願いが神に通じて叶った、というよりも、ある一定の条件が整うと、人は自分が信じたとおりに実現しようと無意識のうちに行動する生き物のようです。
個人的に引っ掛かりを感じるのは、これらのアセンションのための条件というのは、大元の宗教にも謳われているような部分があるので、さも「それらしく」見えてくるということです。
日本で信仰のある人は割合にすると2~3割だそうですが、それ以外の人たちも多くは「宗教に関心がある」としています。
日本は特定の国家による信仰の強制がないため、今となってはアニメやゲームなどで、いろんな宗教の神様がそれぞれの特性を持って登場しています。
「ファイナルファンタジー」で、シヴァ神やイフリート、ケツァルコアトルが登場するように、日本人にとって神様というのはビジュアルを持って定着されていることが多いように感じます。
また、悪魔だからといって残虐非道という表現をされない、というのも多々です。
この前「ザ・ライト」を見ましたが、エクソシストという職業が海外で存在する理由というのを考えさせられました。
さて、ちょっと話がずれました。
実は私たち日本人にとって、こうしたアセンションというのは、実は一番「読みやすく」「実践しやすい」のではないでしょうか。
まず、一番にはやはり、自由信仰というのが根強い風土にあることがあります。
そして、山にこもって菜食主義の食事をし、早寝早起き、座禅を組んで…というような暮らしでなくてもいい、というのが、とっつきやすい理由なのではないか?と個人的には思います。
仏教も神道も、そうした自然の中で共生する中で、人間の中に戒律を作ることで、厳しさの中に優しさや許しを見出してきたのではとも思うのですが…。
どちらかといえば、宇宙の神様…もとい、こうしたアセンションにおける宇宙神の信仰というのは、「自分を愛せばいい」という、簡単なものに見えます。
彼らの中に、キリスト教に代表されるヒエラルキーがない、というのも圧倒的に、そうした「荘厳さ」というものを削いでしまっている原因のように思います。
基本的に、こうしたインターネットの世界におけるアセンションを唱え、英霊と会話ができる人たちというのは、「●●からのメッセージ」という風にタイトルをつけたりしてブログで公開しています。
英霊といっても、有名どころでは近代日本史に出てくる人物も存在したりします。
宗教によっては、仏というのはいくつもの身体にわかれることが可能であるとしているので、坂本竜馬が100人存在しようと実は宗教上はOKということになる、らしいです。
メッセージの内容は、未来の予言などではなく、愛とはなんであるか、どうしていけば愛の星になる、であるとかいうひどく抽象的なものであり、最終的には日本を讃えるものになります。
この辺はどの人でもパターンが決まっているように感じます。
何故彼らがこうした抽象的なものにこだわるか、というのはいまだに私自身明確な見解はできませんが、そもそも日本人にとって「カルト」という言葉は、マイナスイメージが強すぎる言葉です。
(海外ではカルトと呼ばずセクトと呼んだりするそうです)
過去のオウム真理教の事件などが、こうした新興宗教における「レッテル」を張り付けてしまっている原因のひとつとも考えられます。
ですので彼らは極力、オウム真理教に代表されるような大規模な集会であったり、何かの販売といった営利を混ぜた布教を嫌う傾向にあるように感じます。
そして、心理学でも言えることですが、フロイトやユングの語る「見えないものへの価値」に重きを置いているのも彼らの特徴かも知れません。
宇宙の神様というのも実はいろいろあるようで、過去の歴史上の人物の霊が存在し、他の惑星の神が存在し、宇宙人が存在し、と実に多種多様です。
彼らにとって、宇宙という未知の存在は、自分のイマジネーションを高めるために必要不可欠な材料なのかも知れません。
まだ解明されていないものですから、誰も完全に否定はできませんからね。
世紀末に流行った漫画や番組といっしょで、実際に2013年が何事もなくやってこなければ、彼らは納得しないのかも知れません。
一見すれば、彼らは自由に信仰を持っているだけ、という風に見えるかもしれませんね。
問題なのは、彼らは「あとだしジャンケン」の要領で、予言を並べ、読者をコントロールしてしまっている現状があるという部分です。
「3.11」についても「やっぱり起こってしまいました!」といったように「私は予見できていたんです」と、後になって記述されている方がいらっしゃいました。
いくらインターネット上であるといっても、こうした状況は許されるのでしょうか?
情報化された社会だからこそ、こうした「確実性のない情報」というのは、無関係な人間を混乱させたり、風評被害の元になりかねないのではないでしょうか。
今はまだ、「オオカミ少年」のレベルで済んでいます。
ですが、これが日常化するとどうでしょうか。
私はそこに危機意識を抱いています。