無想会 沖縄空手

無想会 沖縄空手

武術としての空手を追求しています。

重力落下で木刀を振り下ろす稽古を浜でやっています。

できるだけクッション性のあるものを打っているつもりですが、木刀が折れました。

 

そりゃあ折れます。木ですから。

ある流派の打ち込みでイスの木をそのまま使うのは、消耗が非常に激しく木刀では追いつかないのではないからかなと思ったりします。

 

棒もしかりです。折れます。木ですから。

 

木刀も棒も伝家の宝刀とはなり得ません。消耗品です。

 

次回からはイヌマキノ棒で打ち込み稽古やります。ほぼただです。

 

 

釵を扱うのに手の内が使える理由は、釵の形状にあります。

人差し指と中指薬指と小指親指の3パートに分かれ、かつ別々に運用しても釵の「翼」と「柄」と「物打」の交差する部分が十字の形になっているので釵自体を落とすことなく使えます。無想会の突きを放つ時と同じく掌を張った状態を維持しつつ指も使えます。

 

この持ち方では、「翼」と呼ばれる両側に張り出した部分での受けはできなくなりますが、非常に速く重い振りを行うことができます。

 

 

 

 

前回の沖繩セミナーで、ほんの少し釵の稽古方法を習いました。

毎日それを練習してて気付いたことがあります。

釵の振り方は、突きの手の内とまったく同じなのです。

 

棒は、棒を掴むことで、ある意味手自体が居着いてしまいますが、釵は素手に近い手の内が使えます。

 

武器術としては、非常に珍しい技術だと思います。

 

ナイファンチ、ナイファンチンと呼ばれる空手の形は、流派により右始まりだったり左始まりだったり、途中の技の動きや解釈は違いますが、概ね初動は横に動きます。

 

カニのように横移動します。色々と意味がありますが最初に立つときは正面を向きます。そして左右どちらかに仮想の相手を想定しているので周辺視で相手の動きをとらえながら喉輪、抜手等の技となります。

 

ただ、組手でも実際の戦いでもナイファンチのように人はカニ歩きはしません。

しかし、ナイファンチの足のどちらかを90度外側に向けると真半身の姿勢になります。

 

この時の顔の位置は、思いっきり相手の方向に向けなければならないのかな?と思っていたのですが、周辺視で見るならばそんなに首をまわさないでもいいんじゃないかなと。

 

首を真横に向けるデメリットは頭の重さで自分の身体内に仮想重心が入ってしまうことです。

少しだけ首を廻すと仮想重心は身体の外に保てます。

 

誤解なきように捕捉しますが、この真半身の姿勢は、構えではなく動きの中の一瞬の姿勢であります。

 

 

 

 

 

 

でも触れられていますが、棒の振りは、鍬の使い方と同じと述べられています。

一部の古武道の流派では鍬術があります。当時は身近な武器となりうる道具だったのでしょうが、穿った見方をすると鍬も棒も原理原則は同じ!ということを示唆しているのかもしれません。あくまで私見です。