無想会 沖縄空手

無想会 沖縄空手

武術としての空手を追求しています。

前回は棒の形は、素手相手じゃないか?という考えを提示しましたが、形の原理原則として同等かそれ以上の相手を想定していない形は、その存在価値が皆無であるという、厳しいけれど現実的な指摘を沖縄代表H氏からいただき、

 

「そうだな。」と簡単に豹変しました。

 

簡潔にいうなら「素手相手なら応用で十分です。」ということですね。

ただ、逮捕術という観点からならあってもいいかもという意見もありましたが、やはり上位互換の思想からいうと棒は、相手が棒か刀か槍かサイか得物を想定しているというところが妥当かもしれません。

 

となると棒の最初の構え、棒を垂直に立てるというのは、いったいどういう意味があるのか?

 

 

                                                   To be continue

 

無想会に入会して早8年。半年ごとに「だいぶできてきたな!」と思いセミナーに臨んでみたら、「全然ダメ!!」と新垣師範からダメ出しを頂くことがだいたい三年くらい続きました。

ただ、三か月に一回くらいは、沖縄本島のH代表に稽古をつけてもらえたのは、貴重でした。

 

そして、最近は島にも稽古仲間ができて自分が伝授する立場となりましたが、このアウトプットが非常に効率よく自分を観ることができるということに気づきました。

 

中途半端な理解や、できていないことは、伝えられない、という事実は動かしようがなく眼前に立ちはだかります。

 

そして、相手のできていないところや悪癖は、つまり自分にも当てはまる。

鏡や動画も有効ですが、これはあくまでもレンズやモニターを透過したイメージです。

 

やっぱり三次元の稽古仲間からの情報が一番優れています。

 

先日の沖縄稽古会、皆で棒の考察をしました。やはり脳がたくさんあると、多面的に分析できて新しい発見が多数ありました。

 

そして、これは私個人の考えなんですが、棒の形は「対棒」でもなく「対刀」でもなく「対素手」なんじゃないかなと思うのです。

 

対素手と考えると相手との距離や不明な技を説明できるかもしれませんがまだまだ研究不足です。

あくまで私見です。

 

今回のセミナーでは、非常に多くの学びがありました。新たに加わったことでは、なく本当に以前から何回も何回も新垣師範から伝えてもらっていたことばかりです。

 

「背中の懸り」もその一つです。この背中の懸りですが、日本語で説明するとこれ以外に該当する言葉がみあたりません。

 

この背中の懸りが懸っていなければ、広背筋の収縮が逃げてしまいます。つまり遊びができてしまうということです。

 

僅か2センチ程の背中の収縮をダイレクトに伝えるには、背中の懸りが大きな鍵となります。

 

これは、カヌーの漕ぎやエイクの漕ぎでも全く同じです。背中が懸ると腕は軽くなり重さを自在に操れます。

 

でも、これってアメリカに行ったとき、散々サンドバッグ飛ばしで伝授してもらったことなんです。

 

ナイファンチの喉輪も、この背中の懸りがないと重さを得ることができないという指摘もいただきました。

 

結局、師範からなんでもかんでも教えてもらおうという根性が間違っていました。最後のピースは、自分ではめ込まなければ、自得することは、永遠にできません。

 

 

 

今回のセミナーで色々と気づきがありました。突き三分引き七分とは、速さを最速にするためであるとともに重さと重力落下による身体操作にも重要な動作であるということが確認できました。

 

そして引きは引くのではなく肘を落とさなければ遅く軽くなるということも理解できました。