運とコネで一瞬でアーティストの頂点へと上り詰めたMBW(ミスター・ブレインウォッシュ)のドキュメンタリー。
ストリートアーティストのいとこを持つティエリーはふとしたきっかけからビデオカメラでストリートアートの現場を記録し始める。
様々なアーティストの活動をカメラに収める彼だが、世界を騒がせ続けるストリート・アーティスト「バンクシ―」だけが未だ連絡を取れないでいた。
そんな中ふとした偶然でバンクシ―の助手を務めないかという話が舞い込み、狂喜乱舞した彼は一から十まで世話をやきその活動を記録してバンクシ―の信頼を勝ち取っていく。
折しもその頃、増殖し巨額な金銭がやり取りされるアメリカのアートマーケットでは、新たなアートの形態としてストリート・アートが注目され始めていた。
現代アーティストに欠かせない存在としてバンクシ―の作品は高値で取引され、路上から富裕層の自宅の壁へと展示場所が変えられていく。
この状況に対してバンクシ―はティエリーに「今こそあの映像記録を公開するときだ」と告げ、彼に映画の作成を促すのだが…
音楽を効果的に使ってテンポよく編集された映像には思わず見入ってしまった。
ドキュメンタリーとなるとどうしても飽きてしまったりのめり込めないものだけど
あっという間に軽く見れてしまって「これで終わり?」という感じだった。
なぜストリート・アートをするのか、というのがどうしても理解できなくて「皆信念を持ってやっているんだ」というティエリーの言葉がどうにも納得いかなかった。
でも、ストリート・アートをオークションで売り買いして自宅に飾るのは作品本来の趣旨とは違うのでは?
路上で展示されるからこそ価値があるものであって、特定の個人しか見れなくなった時点でその本来の価値は失われてしまうように思う。
物語のオチは皮肉なものだと思う。
芸術は評論家や鑑賞者が価値をつけるものになりつつあり、それがついにストリート・アートにまで浸透してしまったのかという。
芸術だって結局のところ市場化してしまえばポップ音楽やらテレビやらマンガやらといった娯楽産業となんら変わることがない。
作品がくそでも売り方一つでヒット作になる「芸術」。
才能や作品の良し悪しで売れる・売れない/評価される・されないが決まるなんて元から私たちの願望にすぎないのかもしれないと思う。
★★★★☆
ストリートアーティストのいとこを持つティエリーはふとしたきっかけからビデオカメラでストリートアートの現場を記録し始める。
様々なアーティストの活動をカメラに収める彼だが、世界を騒がせ続けるストリート・アーティスト「バンクシ―」だけが未だ連絡を取れないでいた。
そんな中ふとした偶然でバンクシ―の助手を務めないかという話が舞い込み、狂喜乱舞した彼は一から十まで世話をやきその活動を記録してバンクシ―の信頼を勝ち取っていく。
折しもその頃、増殖し巨額な金銭がやり取りされるアメリカのアートマーケットでは、新たなアートの形態としてストリート・アートが注目され始めていた。
現代アーティストに欠かせない存在としてバンクシ―の作品は高値で取引され、路上から富裕層の自宅の壁へと展示場所が変えられていく。
この状況に対してバンクシ―はティエリーに「今こそあの映像記録を公開するときだ」と告げ、彼に映画の作成を促すのだが…
音楽を効果的に使ってテンポよく編集された映像には思わず見入ってしまった。
ドキュメンタリーとなるとどうしても飽きてしまったりのめり込めないものだけど
あっという間に軽く見れてしまって「これで終わり?」という感じだった。
なぜストリート・アートをするのか、というのがどうしても理解できなくて「皆信念を持ってやっているんだ」というティエリーの言葉がどうにも納得いかなかった。
でも、ストリート・アートをオークションで売り買いして自宅に飾るのは作品本来の趣旨とは違うのでは?
路上で展示されるからこそ価値があるものであって、特定の個人しか見れなくなった時点でその本来の価値は失われてしまうように思う。
物語のオチは皮肉なものだと思う。
芸術は評論家や鑑賞者が価値をつけるものになりつつあり、それがついにストリート・アートにまで浸透してしまったのかという。
芸術だって結局のところ市場化してしまえばポップ音楽やらテレビやらマンガやらといった娯楽産業となんら変わることがない。
作品がくそでも売り方一つでヒット作になる「芸術」。
才能や作品の良し悪しで売れる・売れない/評価される・されないが決まるなんて元から私たちの願望にすぎないのかもしれないと思う。
★★★★☆