最近とても好きなのは、白薔薇です。
ミュンヘン大学の学生であり、地下組織を作ってナチスに非暴力的に抵抗した女学生、ゾフィー・ショルを描いた映画が、
「白薔薇の祈り」というものでした。わたしは大学時代は4年間ドイツ語を履修していて、その一環で東西分断時のドイツや、
それに至るまでのナチスの台頭などを広く学んだことがありました(あくまで一般教養)。彼女たちの活動が白薔薇抵抗運動と呼ばれていたため、映画のタイトルもそうなったのですが。白はやはり純愛であったり純白であったり、穢れのない状態を意味すると思いますけれど、
可憐な姿をした薔薇がその色をまとうと何かさみしげにも見えてきたりするので不思議です。
こういう、学生が死刑に処されたりするストーリーや戦時中の映画というのは、
子どもを産んでからぱったり見たいと思えなくなり、封印しています。気持ちが持たないのです。
ゾフィー・ショルのお兄さんも死刑宣告を受けて死刑に処されて行きますが、
あくまでこの映画の主人公はゾフィー・ショル。女学生。
白いバラから連想されるような、女性の秘めた強さなどに焦点を当てて描いているように思われました。
一方で、昨日ニュースで恐ろしいと思いながら見ていたのがあるのですが、
それはアフガニスタンのカブールにある産院で妊産婦を狙っての襲撃があり、
11名のお母さんたちや国境なき医師団の医療スタッフ、2名の新生児が命を落としたという衝撃の事件でした。
散弾銃で分娩室や入院部屋を荒らしまわって、お母さんたちを殺害していった輩たち。
血まみれの新生児室や分娩室を新聞に載せていて、恐ろしい光景が目に浮かぶようでした。
子どもを宿した母親という、これから豊かな未来を招く源のようなイメージの存在を狙うことがメッセージであり、
新世代を創り出させないという卑劣な動機がそこにはみてとれるのかと思います。
こうして、白薔薇の祈りを思い出しながら、かつての第二次大戦の悲劇と、
今中東やアフリカである紛争(だけではないですが)をつなげて考えているととても切ない気持ちになりました。
話は大きく変わりますが、英語に翻訳しているうえでどうしてもわからない事項が出てきて、
昨日は語学の学者を目指している(オックスフォードの博士課程、日本語研究所?で勉強中)
イタリア人の親友に、定冠詞、不定冠詞についてイタリア語と英語と日本語の違いから説明してもらいました。
簡潔に「人権は大切です」という例文。
I diritti umani sono importanti.= Human rights are important.
I diritti umani di cui abbiamo parlato prima sono importanti.=The human rights(we talked about earlier) are important.
英語でtheが付く場合には、すでに登場した事項を改めてさす場合である。
次に「イタリアは美しい国です」
L'Italia è un bel paese.
Italy is a beautiful country.
イタリアという名詞に含まれている意味がすでに周知のことである=イタリア語では定冠詞をつけて、英語では無冠詞。
そこで頭がパンクしそうになったのがわたしですけれど・・・(笑)
特に英語では複数の場合にtheが付く場合と付かない場合の分別が、とても難しいと思います。
でも、なぜか英語→日本語への翻訳より、日本語→英語への翻訳のほうが楽しいし、わかりやすい。
外国語で生活をしているせいなのでしょうか、きっと日本語力が落ちている?
頭がこんがらがったところで、それでは良い日曜日をお過ごしください。