これまでの私ときたら、ちょっと身なりがよくかっこいい中年を見ると、なんだか気持ち悪いなあと思っていた。むしろ、かっこ悪くとも、あるがままストレートに生きる野武士のような姿の方が価値があるのだと思っていた。


今でも、後者の生き方も格好いいと思うのだが、紳士的なたたずまいも格好いいなあと思えるようになってきた。いずれのあり方も本物で、表現方法が違うだけなのかという考えにシフトしてきた。

テレビが情報源なのがちょっと恥ずかしいが、江戸小紋職人の人間国宝の方が、「粋と野暮との違いは、そこに誠意があるかないか。」と言っていたのを観た。

なるほどと感心した。おそらく紳士道も同じだ。


紳士たるには誠意を表現しなければならない。

エセの紳士は見た目は格好良くても、そこに誠意がないから、不快なのだろう(そして私が過去気持ち悪がっていたのはおそらくこういう人たちだ。)。


今朝、私は、電車の7人掛けの椅子の端に座っていたのだが、かなり席に余裕があったにも関わらず、その初老の男性はとても自然なお辞儀をしてから、私から2人分ほどのあけて座られた。

ちょっとしたことだが、その所作がとても素敵であった。


電車の座席を探す際、自分が座れる空間が空いているかどうかしか注意を払っていないのが普通ではないだろうか。自分が座れるスペースを見つけたら、そこに尻を置きに行く。座る際に隣の人にぶつかりそうな場合に初めて、隣の人の存在を認識し、「すみません」などと声をかける。

しかし、座席は誰かがそこに座った時点で、単なる物としての座席ではなくなり、座席と自分だけでなく、その空間に存在する人との関係性を意識すべきなのではないか。そう考えれば、仮に少し離れて座る場合でも、「あなたの空間にちょっとお邪魔しますね。」というメッセージを発するのが丁寧ではないかと思う。


このような人や社会に対する目配り気配り、誠実で丁寧な生き方が紳士道なのだろう。