犠牲の連鎖と自由母の日になる度に思う私と母との関係と私と私の子供達との関係の違いを。私の母も母の家族を縛り付けていた犠牲の連鎖を断ち切った積もりだったのかも知れないでも母が選んだ人生にはやはり犠牲が多すぎた。その犠牲を私は継ぎたくないばかりに私はその犠牲の連鎖を断ち切った。私の子供達は多分、連鎖が断たれた事でそこからいくらかの自由を手に入れるチャンスを与えられたのでは無いかと思う。私はただ子供達に選択の自由を与え、自分たちで納得いく幸せというものを掴んでいってほしいだけ。