◆ありがちな思考の堂々巡り

・生きるって自然治癒力と死の間を行ったり来たりすることなのではないか

 

長いこと治療していると、

「絶対ステロイド使わずに治したい」

「ステロイド使うと、あとで副作用が怖い」等、出てくると思います

 

副作用のことをちょっと哲学的に考えるときもあるかもしれません。

「薬を使って補った状態で治っても意味ない!やめたらまた出ちゃうんだから。それは本当の意味で健康ではない!」

「だから、ステロイドは使わない。」など。

 

でもここの思考って堂々巡りだと思います。

 

じゃあ漢方薬は根本治療なのか?←飲み続けるなら一緒なのでは

サプリメントはいいのか?

食事とか運動とかずっと気にし続けるんだろうか、、、

 

何が自然で、何が人工なのか。考えているとよく分からなくなった。

そんなときって意外とありませんか。

 

ここで少しテーマに立ち帰りますが、

「思考の堂々巡り」というのは、「暗く」なるのでいいものではありません。

ミスチル風に言うと「難しく考えだすと結局すべてが嫌になって そっとそっと逃げ出したくなる」です。

このテーマでは、思考の堂々巡りから抜け出すための話をしていこうと思います。

 

 

ここで話を元に戻して、この堂々巡りについていちばん原始的なところから考えてみると

「生きるって自然治癒力と死の間を行ったり来たりすること」です。(スケールでか

 

自然治癒力があるからって死なないわけじゃないです。

死ぬ"けど"、自然治癒力は働くというか、生き長らえさせてくれるというか

カラダは日々、健康になるように各所を治してくれますが、最後には死にます。

そもそもが矛盾した大きな揺らぎの中に僕らはいます。どうやらそれが「生きている」ということみたいです。

 

なので、ものすごく健康ハッピーなマイボディを作り上げたところで結局死ぬのです。

 

脱ステをしていると、なんかやたらピュアなイノセントなパーフェクトなカラダが欲しいみたいな哲学的欲求が出てきたりするのですが(僕は出てきた)

あるとき「あ、でもこれどうせ死ぬんだよな。」って思って、

そしたら薬の副作用とか、サプリメントとか、インスタントなものとかに対する感覚が少し変わりました。

(その前は、もうなるべく摂りたくない!みたいな。ナチュラルで保ちたい!みたいな意志が強かったです)

 

まったく添加物の入ってない体を作り上げたところで誰かが褒めてくれるわけじゃないし、

死ぬときに何か神様から景品があるわけでもない。

そしたら、最重要なのは人生の日々をいかに楽しめるか。

そのためにアトピー治った方が良くて、でも治るなら方法はどんなでもいい。肌がキレイになればそれでいい。

そんな風に思いました。

 

そりゃあものすごい副作用があったらイヤですよ。10年後に2倍の症状で100%再発する、みたいな。

そういう治療法は避けたいですが、

一回カップラーメン食ってどうだ、サプリメントでどうだ、そう思うのはやめました。

目に見えないもの、自分の経験ではよく分からないものは気にしないことにしました。

必要以上に怖がらない、というような言葉もあるでしょうか(世間の情報は商品買わせるために脅しで溢れてますからね

正直、ステロイドについては、いきなり「大丈夫っしょ」みたいには思えなかったですが、

塗ってみて、効果の高さ・肌がキレイになったことによる日々のくおりてぃおぶらいふの向上(要は日々が楽しい)を通じて

「塗ってよかった」って思いました。

 

矛盾した大きな揺らぎの中で、

「その揺らぎ自体を楽しむ。質の高い時間を過ごす。」

それが人生なんだと思います。

 

ここまでは「究極的に考えたらそうだよね」というある意味、哲学的な話をしているのですが

このことを踏まえて、

 

どんな風に治りたいか

 

が大切だと僕は思っています。

 

僕自身は、やりたいこと(音楽)があってそのために「アトピーやっている場合じゃない」みたいなことにあるとき気付いて

肌がキレイになればいいや、方法は問わない!

みたいな僕なりの「芯」ができたのですが

 

人並みの生活をしてアトピーが出ない状態、になりたいのか

ナチュラルオーガニックな暮らしをしたいのか

症状が出なくなればなんでもいいのか

 

このへんは人によって違って、それによって治療の選択肢は変わってくると思います。

今風に言うと、治療法のデザインです。

 

矛盾した大きな揺らぎの中で「その揺らぎ自体を楽しむ。質の高い時間を過ごす。」

 

としたら、どんなことが優先順位高いでしょうか?

 

堂々巡りから抜け出すヒントはそこにあります。