ペロが弱った件を通じて思い出した感覚がある。
僕が脱ステでアトピーぼろぼろだったとき、正直、いま思えば正直、ここからどうやって治るのかイメージができなかった。
何が起きたらこのぼろぼろの皮膚が、芸能人みたいなお肌になっていくのか、途中経過がまったく想像できなかった。

その姿と、今回、母やじいちゃんばあちゃんが、ペロをもうだめだ、と思っている姿が重なった。

信じたいけど信じられない。
現実の姿に負けてしまう。

もうあの日のあいつには戻らない。
すっかり変わってしまった・・・。

そんな諦観。

悪いとかじゃないし、考え方の問題とかそういう話でもないと思う。

”思ってしまうこと”は止められない。


そんなところに光を差せるものがあるとしたら、
それは希望を見れる人間の登場、だ。

アトピーだと、それが皮膚科医であってくれたらありがたいと思っている。

実際、綾子先生は初めて会ったとき、
僕の肌を見るなり、
痛そう~、辛いね。

ステロイド塗れば改善するよ!

僕には見えていなかった、綺麗な肌、を見てくれていた。
たぶん強く。知識と経験から、それは強く。

だからそれに触発されて、僕も
「あれ、治るんじゃないかな。」
って(心で)思えた部分があったんたと思う。


正直、ずっと治らなくてずっとひどい状態の肌を見ている人に、治るって信じてください、なんて無理だ。

言葉だけでも、
笑顔だけでも、

心がけは大切だし、前向きさは必ず光を生むとは思うけれど、
どうしても本心や無意識の力は強い。(から無理してるなって感じちゃう。)

だからこそ、会うんだ。
自分が治った状態をイメージできる人と。

自分とまったく違う解釈を持った(違うリズムパターンを持った)人と。

そうすると良い意味で先入観・固定観念が崩れて新しいリズム(感覚)か入ってくる。

正直、どれだけ足を運べば、どれだけ手をかければ治るかなんて保証はできないけど、
足を運んだり手をかけたりした延長線上には、必ず光がある、と断言できる。
(頭や口を動かした先ではなく、ね)