「できない」を「したくない」と言い換えるのは情報化社会を生き抜くコツなのです。
シンプルに理由を説明しましょう。

でも理屈はどうでもいいんです。やってみてください。それが大事です。


「したくない」という言葉には感情がこもります。自分の意志がこもります。
つまり、それは自分の意志として頭にインプットされます。
気持ちが1カウント入ります、脳みそに、かちっと。
感度が1上がるのです。

OK?


一方、「できない」という言葉は自分の意志とは無関係です。
あなたがやりたかろうとやりたくなかろうと「ステロイドはできない」ならできないのです。もう、それは「できない」という”理屈”としてインプットされるのです。知識として。
つまり知識が1カウント入ります、脳みそに、かちっと。
知能が1上がるのです。

OK?


さて、ここで情報化社会の情報の波を一度、俯瞰してみてください。遠くを見るように眺めてみてください。

イメージは本屋さんの医療本コーナー。

あなたは一冊目を手に取ります。
「肉を食べてはいけない」
かちっ。
知識が1カウント入ります。「ニクヲタベテハイケナイ」

となりの本を見ます。
「長生きするには肉」
かちっ
知識が1カウント入ります。「ナガイキスルニハニク」


情報化社会で生きるとはこういうことです。嫌でも知識が入って来ます。まして、あなたが能動的にその波に突っ込んでいるのなら、ますます入って来ます。

ところがその知識たちは平気で矛盾しています。

そしてそれはあなたの脳みそを混乱させます。

たぶんもう既にカオスです。

僕のブログがしっくりくるようであれば、やはりそうなのだと思います。

「もう分かんない!」と文句を言いたいのが本音だと思います。その通り、まったくおっしゃる通りだと思います。

でも「分かんない!」と叫んでも何も始まらないのです。



知識でインプットするクセをやめてください。
それがこの情報化社会を楽しく生きるコツです。

もちろん知識としてインプットした方がいいものもあります。(はさみを使えば紙が切れる、とか。)


その違いはどこですか?
それもかんたんです。

経験は「知識」としてかちっと入れてください。
解釈は「感情」としてかちっと入れてください。

僕はそれを推奨します。

はさみでものが切れる、とか
火は熱い、とか
ティッシュはやぶれる、とか

そういう経験を伴った知識はあなたを裏切りませんし、今後、ひっくり返ることもおそらくないので、そのまま知識で保存できます。


でも、医療本コーナーにある「あれがダメ」「これがダメ」「あれがいい」「これがいい」はほとんど解釈です。

ていうか科学そのものが解釈です、本当は。(最先端の人は「違う」と否定するんでしょうが、哲学的に言えば、科学は「解釈」です。(でもその理論で言えば・・・とかここは堂々巡りなので無視した方がいいです笑))


解釈というのは平気で裏切って来ます。ひっくり返ります。変わって行くものです。


はっきり言って、みんな何かを勘違いしているんですね。(僕もですが。)

いまの世の中って、自分が見たわけでもない、感じたわけでもない何かを正しいとか正しくないとかツッこんでみたり、絶対ダメとか絶対いいとか、なんでそんな言い切れんねん、みたいな感じだったり

見たなら分かりますよ、感じたなら分かりますよ。

でも、そうでないならほんとはあなたは責任を取れないはずなのです。

責任を取るって誰に?

自分に、です。
自分に責任とれないから、「自己嫌悪」とかなるのです。


見たもの、感じたものなら責任とれるのです。
「いや、だって、俺見たんだよ。本当だって。」って言えるんです。

でも付け焼き刃の知識だと「いや、本当だって!嘘じゃないって、だってほら。え?でもさー」
みたいな苦しい感じです。
言いながら自分でも疑ってるからつらいのです。


そんな知識で太った状態で情報化社会を生き抜くのは苦しいです。というか、見苦しいです。そういう人を見て見苦しいって思うから、そういう人みたいになってる自分が苦しいのです。


スマートにいきましょう。
スマートに行くには「感じて」生きることです。

「感じる」言葉は「したい」「したくない」

解釈を知識として受け取らないことです。あなたの感性フィルターを通して受け取ることです。




すぐアトピー治るとは言いません。そんなこと言ったら「治らないじゃないですか」って絶対言われるので、絶対言いません。

でも必ず効果は出て来ます。

お肌に効くかは分からないけれど、脳の処理量を減らすという過程を経て、確実に元気、健康に向かいやすい軌道には入ります。



理由は説明しました。

ほんとは理由すらなくていいんですが、理由がないと、かちっと動けない人がいるので、理由を書きました。



うーん、でも理由がないと動けない人というのは、理由を聞いて納得するだけで、結局動かなかったりしてね。


やっぱりそれだけ「感じる」ことを自らしようとしないし、「理由」と「結果」を聞いて知識としていれるだけ、判断するだけ、みたいになっちゃってるんだろうね、無意識のうちに。まるでコンピュータ。Oh、情報化社会。


「見て」「感じて」、「したい」「したくない」、「やっぱりね!」「違うじゃないかあっ!」
という感情の1カウント、2カウント、、、、、100カウントでしか情報化社会の中、しっかりとした足場は作れないのです。


まずは言葉から。