「すべては捉え方次第」って言葉は薬にも毒にもなると思っていて、
二十歳前後の純粋な僕は素直に信じて従っていたのですが、
今思えばやりすぎだったなっていう。
「すべては捉え方次第」という言い方は現代的にはちょっとビミョーで
「まあ極論すべては捉え方次第だよね」くらいのニュアンスがいいと思います。
99.9%の人はこれくらいの感覚がちょうど良い。
二十歳前後の純粋な僕 のような人は心から本当に「すべては捉え方次第だ!」と思って
修行みたいなモードに入ることがときたまあった気がします。
心頭滅却すれば火もまた涼し 的な。
いや、火は熱いで。(当たり前過ぎる当たり前)
「アトピーで見た目気になっても外に出るべし。見た目気にしすぎやで。」とか。
いや、気になるもんは気になるで。その気持ちは大事にしてええんやで。
伝わる人にしか伝わらないかな。
時に思考に溺れちゃうみたいなタイプの人には、伝わる話かもしれません。
良い例えを見つけたんですよ。
イメージしてください。
インフルエンザの時ね。
熱が39度でうなされて変な夢見てる時ね。
お釈迦様に言われるわけです。
「生きてるだけで幸せなのです。いま感じられる感覚は生きているからこそ。死んだらそれは無くなります。いま生きる喜びを噛み締めて、1秒1秒を大切に生きましょう。あなたは幸せなのです。」と。
本音でレスしましょう。
「いや、無理っすw つらいです、死にそうです。こんなに辛かったら明日死ぬんじゃないかとか考えちゃいます。ちっとも幸せじゃありません。この状況で幸せとかちょっと頭おかしいです。」
こんな感じでしょう。
これでいいです。正直ってこうだと思います。
「すべては捉え方次第」ではないです。
「まあ極論すべては捉え方次第だけども・・・」です。
現実はちょっと別のところにあります(ある場合がほとんどです)。
捉え方じゃなくて状況を変えりゃ良いんです。
この例えで言うならインフルエンザを治してから幸せになれば良いんです。
「どうやったってこの状況は無理!」ってときはあります(でもどういう状況だったら無理、と断言はできませんし、どこまで状況を変えたらOKとも言い切れません。そこは色々な人がいますし色々な状況がありますから、軽々には語れないです。でも捉え方じゃなくて状況を変えたら良いじゃないかというケースは少なくとも50%くらいはあると思います。)
あるいは注釈を付けるというのもありです。
「すべては捉え方次第」
※ ただし、程度の問題があるので、そこは常識的に判断しましょう。常識的に判断できないほど心身が疲れている方はこの言葉で救われるというよりかは、この言葉で危うい方向に行きかねないので、専門のカウンセラーやお医者さんを頼ってください。ちなみに磯中の個人的見解ですが"常識的に判断できないほど心身が疲れている方"は見た目に出る気がするので、そのサイン(あるいは家族・友人からの指摘)を見逃さないようにしましょう。
こんな感じかと思います。
僕自身は「すべてが捉え方次第」が薬というよりは毒になっていた時期があった気がするので、
そうなってしまっている方に向けて書いてみました。