「天国にも届けます」とはまだ言えない。 | 「繊細さんの応援歌を歌う。」繊細ソングライター磯中ゆうき

「繊細さんの応援歌を歌う。」繊細ソングライター磯中ゆうき

「これでいい。」って思えるのは正しいことに出会ったときじゃなく、
楽しいこと・元気になれることに出会ったとき。
聴くと自己肯定できるような音楽を届けたい。

※ 自分にとって大切な方が突然亡くなってびっくりし過ぎて実感が沸かないので思ったことをブログにアウトプットしてみました。

 

「人は来たる時が来て亡くなる」

そう信じたいし、ドラマではそういう形で"不本意でなく"亡くなっていくので、

現実もそういうものかとやっぱり信じていたかったのだけど、
どうやらそうではないと今年、思わざるを得なかった。

 

やりたいことをまっとうして死ねるものでもなくて

いかにも続きがありそうな線がプツンと切れて無くなってしまう。

 

現実世界の「人の死」というのはどうやらそういうもので、

「人はいつ死ぬか分からない」

本当にその言葉通り、それ以上でも以下でもないみたい。

 

もちろん、亡くなった方に対して「まだやりたいことの途中だったでしょ!」と責め立てるわけはなくて
「お疲れ様でした。ありがとうございました。」という言葉がけにはなるのだけど

もし今、その亡くなった方と会話できるとしたら

 

「え、正直もうちょっとやりたいことありましたよね?まだ途中でしたよね?」とは聞いてしまいそう。

「生きていて欲しかった」という願いももちろんある。

 

俺のカレーを食べたいと言っていたので、できれば食べて欲しかった。

というか、それよりもライブに来て欲しかった。

そのときのライブが上手く行こうが上手く行かなかろうがきっと僕の「様(さま)」は伝わるので

それを見せておきたかった。

後悔、先に立たずだけど。

「天国にも届けます」とはまだ言えない。

食べて欲しかった。見て欲しかった。

 

恩返しも圧倒的に足りていない。

そういう意味でも、カレーはごちそうしておくべきだった、せめて。。。

 

 

生きている有難さを感じるとか

親孝行したいときにはもう親はいないとか

一生懸命生きなければならないとか

 

そういうことをやはり噛み締めるのだけど

 

 

そんなことはいいから生きていて欲しかったな、本当に。

 

 

 

 

愛をたくさんくれた人だった。

 

愛をたくさん与える人になろう。