磯中みたいな者が哲学を語りたがる原因ですが、
久々に読んだアフロ田中に答えらしきものがありました。
飲み屋でおっさんが言う「〇〇が最高。絶対お前もやった方がいい」というアレ。
自分が良かったものは人に紹介したくなっちゃうという。
言い方を変えると「おせっかい」
現代風にポジティブに言うならば「シェア」「共有」
胡散臭く言うならば「おすそわけ」(パンチしたくなるよね)
シェア・共有でいきましょう。
選択肢をシェア・共有するということです。
選択肢って何?って考えたときにさっきいい言葉を思いついて
「優先順位の再確認」なのかなと思います。
僕がいつも持っている言葉に
「直感は真実。理屈は偽物。
直感は不変。理屈は可変。」
というのがあるのですが、
これって理屈が絶対だと思っていた当時の僕を
ガシャーンとガラスを割るように価値観を砕いて
「直感の方が上なんじゃね?」という可能性を与えたんですね。
直感と理屈って
直感の方が優先順位高いかも、
と優先順位がひっくり返ったのです。
哲学ってある種こんなことを言ってるのかなと思います。
なんか時代の大きな流れとしては
お金>便利な製品=科学=理屈>仕事>正しさ>思いやり=友達=愛>自分=直感
みたいな優先順位になってる気がするんですが
僕が思うに
科学、理屈は直感より偉くないし、
そうするとお金も便利な製品もそれほど大事ではありません。
まとまるかわかんないけど、
自分=直感>思いやり=友達=愛>仕事>お金>>便利な製品=科学=理屈=正しさ
こんな感じか。(ちゃんと作ったらもっと面白そう)
色々な考え方があるでしょうが、信念に基づいて生きたいタイプの私としては
こんな優先順位が心地よいです。
ここ大事。
哲学とは優先順位の再確認、です。
哲学を見たり読んだり理解したりしたら
自分の優先順位が見えてくるのです。
自分の優先順位って人によって違うのです。
どれが正しいということはなく、どれを優先したいかです。
これを自分で知っていると人生の大きな選択を間違えないですよね。
現実はきびしいので迷いや葛藤はありますが、
大きなイメージとしてどう進んでいくかということは決められます。
優先順位は人生の中で変わっていくし、
変えて行くものなんじゃないかと思います。
優先順位が変わることが人生観変わるってことかもしれませんね。
良き人生を。
良き明日を。
良き今日を。
良き一瞬を。