こんにちは
午前中は
錦糸町のヨドバシカメラに行って来ました
エアコンがフルで活躍する前に、
フィルターの注文をしました
毎年、
1~2回は新しくします
もちろん自分でも
歯ブラシで汚れを取ったり洗ったりしますが
キッチンとリビングが同じ部屋なので、
どうしても脂っこくベトベト感が残ります
無理してゴシゴシすると
敗れてしまいそう・・・
だいたい毎年
在庫が無いため注文して、
入荷したら電話が来ます
今回も同じ
最悪おそくても月末とのこと!
真夏には十分間に合いますね
ところで、
数日前のことです!
夕食後にウオーキングしました
夜に行った住吉は、
殆ど小名木川沿いで
東陽町寄り
因って
車もひともパラパラ
とても静かな通りなんです
此の道を歩くのは気分がいいです
最もすてきな場所は、
大横川にかかる猿江橋の上
スカイツリーがばっちり見えます
ちょうど
鷹匠の女性に会う前
気付いたら
わたしはうたを歌っていました
家で自分の部屋で
YouTubeやCDに合わせて歌うことはあります
でも
外で歩きながらは初
考えてみたら
わたしの母はいつも歌っていました
コーラスの会に入り、
第九を皆でうたったり・・・
心臓発作で倒れ、
10年ぶりにカテーテルをやったら
3日後
赤ちゃんみたいになってしまいました
母は当時85歳
千葉の市川から埼玉の八潮の施設まで
ときどき御見舞いに来て下さるお友だちは数人
卓球仲間
太極拳仲間
源氏物語仲間
卓球仲間
そして
コーラス仲間
母は弟を産んでから
弟の病に振り回されて大変な人生でした
それでも
いつも歌っていましたねえ
私は内心、
ほんとうは辛くて泣きたいだろうに・・・
いつも、そう思って聴いていました
あるとき、母は言いました
「私はあまり音楽に興味なかったし、戦争があったし
音楽とは無縁だったけれど
おとうさんがクラシック好きだから
影響を受けたわね!」
そして私に
「死ぬまでにウイーンに行きたい!!!」
母と叔母を連れて
ウイーンとザルツブルグに行きました
それは大変でした
でも音楽が好きな母を喜ばせるため
5日間、
毎晩コンサート三昧
母の大好きなオペラッタ
「メリーウイドー」
生を聴いた母は大喜びで
一緒にうたっていましたっけ
日本語でですけど~
母はわたしと違い
歌謡曲も父の死後、TVで聴く様になり
いろいろ歌っていました
わたしと異なり、綺麗な声なんです
あんなに辛いことの連続の人生だったのに、
いつもニコニコ歌っていたのが
いま思うと不思議でなりません
私が人生ではじめて
歩きながら口ずさんでいたのは、
「白い恋人たち」
歌詞をすべて覚えていなかったんで、
大半がハミング
人間、長くやっていると
変るもんなんですねえ
これからは
母のように頻繁に歌うのでしょう