旅の効用 | カメラウーマン

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こんにちは




あと3日で
佐渡の旅に行ってから
ひと月が経ちます

いろんな意味で
ひとりで4泊5日の旅に行ったのは
私にとって収穫が大きかったと思っています


実は半ば無理して強行したのには訳がありました

旅行から帰って直ぐに
母の納骨が控えていたのです !


母が亡くなったのは3年前の6月でした
財産分与など面倒な手続きが山程 びっくり
でも長男である弟は病気で

調子の良さそうなときを見計らって
市役所に一緒に行ったり
ほぼ1人では何も出来ない ガーン

とにかく大変でした アセアセ


わたしなら数日で全部終わることが
弟の場合は体調次第でなかなか進まず

こんな最中に、また入院したらどうしよう?
ハラハラしながら重要な用事をこなしていました 不安


そこで
納骨は涼しくなった10月にしようと思っていたら

弟が自分の家を売って母の家に住みたいと言い出し

わたしは不動産屋を何軒も駈けずり回ったり
何度も何度も不動産屋の担当者と打ち合わせの為に
母の家の最寄り駅である市川に通ったり・・・



さて何とか弟の家が売れて
弟が母の家に引っ越すことが決まりました

12月の半ばです


ああ、これでいよいよ・・・


すると、ある日
保佐人の居る事務所から電話が来て

「弟さんが入院しました。」

またか、こんな大事なときに えー


仕方なく弟の家に行き
引越しの作業をすることになりました


それから約1年

弟は入退院を繰り返しました、
と言うよりも
殆ど病院に居ました



3月
私が大腸がん検査でポリープが見つかり
検査では取りきれないものを入院して取ることに


退院後すぐに弟の執刀医から呼び出され

「弟さんは、胃ろうをしないと危ない !
会って色々とお話ししたいので、病院に来てください。」


むせ易い為に、何度も肺炎になったそう
何処か施設に入るにしても、
胃ろうをしていなと受け入れてもらえない

「お姉さんのご意見は?」

「素人なので判りませんが、わたしは反対です。
弟の気持ちで決めてください。」


それから担当医と何度も連絡を取り合い

結局は本人も望まないので止めたそうです


その後も殆ど入院していて
母の納骨どころではありませんでしたねえ


去年は
わたしが再度、大腸ポリープを検査で取ったり

狭心症の疑いが出てきたり



今年に入って6月頃
夫に言われました

「いい加減にお母さんの納骨をしないと!
弟より先に君が逝ってしまうかもしれないでしょ。」

その通りだと思いました 気づき

私が動けるうちに
母を父のお墓に入れてあげなくては !


それでも不安がいっぱいで迷いました
また大事なときに
弟が倒れたり入院したらどうしよう ?


ダメもとでやるっきゃないか


弟に電話をしました

声で調子がわかります
今は大丈夫そうだな・・・

霊園に連絡をして10月3日に納骨すると決めました


本当に、出来るんだろうか ?
疑心暗鬼でしたねえ


そういう意味でも
不安に押し潰れそうな私には
非日常が必要だったのかもしれません


もちろん旅行中も時々は思い出し
実現するのかな?
何度も何度も心配になりました


でも、やるしかない

何か起こったら、その時に考えよう !


4泊5日も旅行に出掛けたことで
わたしの心に余裕が出来たように思いました


今までも心臓が止まりそうになることが沢山あった
でも逃げないで全て熟慮して対処した

もしかすると
母の納骨が最後かもしれない

弟の葬式が済むまで姉は死ねない!
手術の度に思ったけれど
今は私が先かもと変わった

母の納骨さえ済ませば
あとのことは仕方ない
成るようにしか成らない


納骨の当日の朝は
わたしの想定どおり
ヒヤリとすることが有りました

一瞬、もうダメだ


しかし、何とかクリア

そして無事に母の納骨が済みました


「おとうさん、お待たせしました。
おかあさんをやっと連れて来ましたよ、安心して下さい。」




3年間、
母の納骨をしなかったことに
姉は罪悪感さえ持っていました 

それが、たった半日の数十分で
納骨の儀式は完了

気が抜けました


旅行して良かったんだろうな、きっと


もし行っていなければ
当日を迎えるまで
不安で心配で
どうにかなっていたかもしれない


後でご褒美ではなく

今回は
元気付けと言うか気分転換を兼ね事前に旅行


きっかけをくれた
佐渡に移住した友人に心から感謝 ラブラブ