今回紹介するのは

コトリンゴ 「悲しくてやりきれない」

 

ザ・フォーク・クルセダーズのカバー曲になります。筋としては、原曲を歌っている方を紹介する方が良いのかもしれませんが、私にとってこの曲はコトリンゴさんが歌っている方が、私の思い出の曲なのです。

 

もちろん、どちらも聞いてみました。

クルセダーズさんのほうは昭和特有のホロリと泣けるような、情緒深い感覚がありました。

 

似たような感覚は、坂本九さんの上を向いて歩こう、さだまさしさんの関白宣言などを聞いたときに感じました。

特に、上を向いて歩こうは、感じる感覚として似ていると思います。

 

コトリンゴさんのほうは、声は悲しいのに、曲調は少し明るいのです。不思議な感じがします。

日常を一歩一歩、踏みしめて生きているような、道端の草を見るような、素朴。そんな曲です。

 

この曲は、映画「この世界の片隅に」のオープニングテーマに起用されています。

なので、かなり20代位の人にも有名になったと思います。

 

 

この曲に出会った当時、大学2回生に上がったばかりの私は、ひねくれておりました。

 

高校を卒業し、田舎から京都に上り、楽しい、自由な大学生活を謳歌すると思っていたのです。

ところが、一回生あがりたての3月にはコロナウィルスが蔓延し、必要最低限の外出さえ、憚られるほど状況が悪化していました。

 

その頃には、もうマンション契約をさせてしまったため、3月からは京都に1人移り住むことになりました。同年10月までほぼ誰とも関わらず、知り合いもおらず、2回生に上がって、週一で学校に通う頃にはすっかり意気消沈。

 

何も手につかない状態だったのです。

 

学校から来るのは、臨時で作られた資料や動画を見ての遠隔課題。授業はないし、友達もいない。せっかく京都にいるのに、外に出て観光することもできない。なんだか馬鹿らしくて、しょうがなかったのです。

 

そんな気持ちを抱えて、荒れに荒れていた2回生。20歳でお酒を教えられ、たいして美味しくもないお酒片手に、派手に遊ぶのが好きな友達と道端で飲み、夜はカラオケでオールをして飲み明かす毎日。

 

これが若さだと、これが楽しさだとごまかして生きていました。

 

そんな時に、例の遠隔課題で変わった課題が届きました。映画「この世界の片隅に」を見て、レポート2000字書く。

もうなんの授業だったかでさえ、覚えていません。正直、全く興味がありませんでした。

 

まぁ、でも、課題だからしょうがないと映画を見始めました。

 

内容に関しては、第二次世界大戦中の広島、呉に嫁入りした主人公の日常を描く映画でした。日々生きるために料理をしたり、お金を稼いだり、時には爆撃から逃げ、ただ、家族と生きる。

 

そこにあったのは日常でした。

 

楽しかろうと、苦しかろうと、生きている。

よくわからないほど泣きました。

そして、もう一度オープニングを見返してこの曲をしっかり聞きました。

 

悲しくて、悲しくて

とてもやりきれない。

 

素直に感情を示した歌詞は、私の強がった心を解きほぐしてくれました。

辛さを認めると、さらに辛くなる気がしますが、まずは、辛さを認めるという事をしなければ、この気持ちを消すことはできません。

 

認めれば向き合うことができます。

それを教えてくれた曲です。

 

 

 

 

 

 

胸にしみる 空のかがやき

今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに告げようか

白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いはないだろうか

深い森の みどりにだかれ
今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる 苦しさは
明日も続くのか