確かに存在した
          イタリアパドヴァの聖アントニオ

           S. ANTONIO DA (DI) PADOVA, Un Santo per tutti gli Uomini -Dante Alimenti,  VELAR EUR 4,90 - PicClick IT

    ’’聖人‘’とか言われるとキリスト教徒でもない
  日本人にとって、おまけに2024年!
       にもなって恐竜くん



   ‘’何言ってんの⁈’’と<真面目に!>
   頭を抱えられるかもしれませんが、



        私が住む
  イタリアパドヴァの聖アントニオと 
  その時代の人々の様子を書いてみます。
   聖アントニオ(1195ー1231)

  (フェルナンド・マルティンス・デ・ブリャォン)
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イタリアでは毎月!どこかの州都で
   その州や都市を守っている聖人の祝日が
   あり、その日はその州独自の祭日になります。

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聖アントニオ寺院
 

    ポルトガルのリスボンに寄った
十字軍の戦いで 殉教したフランシスコ会員の
  尊い殉教者の遺骸を目の当たりにした、




     若きアウグスチノ会員、
 フェルナンド(聖アントニオの本名)は
心を動かされ、自分もフランシスコ会員に
ならって、殉教したいと申し出て、アシジの
 聖フランシスコの兄弟会に入会しました。




  このアントニオと名付けられた当時、
  アシジの聖フランシスコは生きていて、
  アントニオの非凡な才能を見抜いた
  聖フランシスコは、彼を説教師として
    方々の街へ送りだしました。




 聖アントニオの雄弁さを物語るかのように、
  パドヴァの聖アントニオ大聖堂では、
   聖人の「舌」が巡礼者のお目当て
     になっているほどです。

    
      
聖アントニオ寺院の中
 

 コンベンツアル聖フランシスコ修道会の
 イタリアでの活動は、聖アントニオの膝元
にあるパドヴァ管区の働きが群を抜いており、
 聖アントニオの影響は、死後800年を
   経た今日まで続いています。



     
聖アントニオが生きた

    中世ヨーロッパの平均寿命は
  ごく幸運な場所と時代なら30歳であり、
  不運な時代と場所なら驚くべきことに
       20歳でした。





  中世ヨーロッパでは現代と比べて医療や
  公衆衛生が未発達でしたので
驚くほど
 寿命は短く、また避妊の手段がなかったので
 現代と比較して驚くほど多産な世界でした。






  中世ヨーロッパを生きた人達にとって
 「生」と「死」は常に身近な存在であったがゆえにキリスト教の教えは、彼らの常に‘’死’’
と隣り合わせの生活に‘’勇気と希望’’を与えて
くれた唯一のものであったのかもしれません。

 

 

 

  そして

  外国人である私に’’外国人’’である
このポルトガル出身の聖アントニオの存在は、  ‘’根なし草‘’であるがゆえ孤独感を感じた時


    
   パドヴァ市民の厚い聖アントニオへの信仰

        
そっと、  
   <決して独りぼっちではないよ>と
いつも寄り添ってくれるありがたい存在です。 

         感謝





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   イタリア在住音楽家松尾まゆみ