こんにちは。

長い作文を投稿します。

老いた親のことで同じような思いをされる方も多いかと思います。

受講したマリア先生の「こころ講座」でも、私にとっては大きな課題となっていた父親とのことを書きました。

長いので、お時間のある時にお読みくださいね。



「トウモロコシと涙」

 先日、父の郷里に住む従兄が名産品のトウモロコシをたくさん父に送ってくれた。母はこの春に亡くなったので従兄は私の方にあらかじめ連絡をくれた。 
「トウモロコシはすぐに悪くなる。受け取ったら、早く家族で分けて美味しいうちに食べてほしい」 
その日、仕事を調整するのは大変だったが、何とかやりくりして実家に駆けつけた。故郷の物が届いて、父も笑顔。嬉しそう。

 「分けるから、さあ袋を持ってきて。」
 もう、そこから父と私はぶつかる。
 紙袋で呼吸ができるようにしたい父と、レジ袋でぎゅっと結わきたい私。
 今から車で私の家ときょうだいの家まで届けるよと言うから、 
「もう夕方遅いし、お父さんのことが心配になるから、最寄り駅までは乗せてもらって、その先は電車で届けに行きます。」 
そう答えたら、父が怒り出した。
 「お父さんが持っていってやると言っているのになぜ断る?袋はこれじゃないとダメだとか、お父さんに送ってもらうと心配しなくちゃいけなくなって面倒くさいから電車で行きたいだとか。お前は何でも自分の思い通りにしようとする。人の親切も厚意も全く理解しようとしない。それでいて、自分は助けてあげてるだの、思いやってあげてるのにだとか言い、他人を自分の思い通りに動かそうとする。まったく嫌な人間だ!もうこの家に来なくて良いぞ。」

 傷ついて泣いても良かったのだけれど、その時はとにかく、父に夕方ラッシュの混雑激しい三車線道路を往復で90分も運転させてはならない!と 、強い意志で 
「電車で帰るから」
 と、父にお願いした。
 「もう好きなようにしろ!」 
そうして、怒られながら最寄り駅まで乗せてもらった。 
 「ありがとうございました」
 と、言って車を降りる時、父は無言のままだった。ぎゅっと結わいてあるトウモロコシは重いけれどバラけない。電車に乗るから持ちやすくまとめたので。
 夕方遅い電車に乗って、きょうだいの家に届けてから電車を乗り継いで帰宅した。

 電車に乗っている間、これで良かったんだと思おうとした。万が一にも高齢者の自動車事故なんてあってはならない。もう免許返納推奨年齢より上の年齢のおじいさんなのだし、夕方は見づらいから特に避けないと。
 ただ、
「私は父を私の思う通りに動かした」
という罪悪感を拭えるものではなかった。どんなにこれで良かったんだと思っても、である。 

 「帰りました」
 と、電話した時には、 
「ああ、そう。じゃあまたね」
と、もう怒っていなかった。 
母のいない家に帰って一人でトウモロコシを茹でたんだろうなと思うとかわいそうになってしまった。
 「お父さんは一人だから少しで良いんだよ」
 と、ちょっとしか台所に置かずに、たくさん持たせてくれた。
 急に申し訳なくなった。せっかく嬉しそうだったのに、あんなに怒らせてしまって、親不孝だったな。

 夜遅く、きょうだいに、この顛末をLINEしたら、 
「無理して行って、勇気出して発言して、怒られて、こんなに重たいものを運んでくれて、今日は大活躍だったね、ありがとう」と返事が来た。

 トウモロコシをかじりながら、思った。実家で父に怒られている時は、私に投げつけられた言葉をそっくりそのまま父に返してやりたいと思った。送ってやると言っているのに言うことをきかないと自分の思い通りにならない私に腹を立てている父に。でも、後になって思ったのは、きっと父に似ている私の愛情も、家族を思い通りに動かしたいような愛情だったのだろうか?ということ。
家族の誰かが、したいようにするのを支援するタイプの愛情ではなかったという、自我の強い愛しか持っていなかったのだろうか。
 「私はあなたにはこうしてほしい、それがあなたのためだから」
と、決めてかかるタイプだったのだろうか。自分としては、できることは何でもしてあげたい、自分が犠牲になるのも厭わない、そんな愛情を持っているつもりだったけれど。その自負は正しいのか? 
完全に自信がなくなった。

 親子だと愛でも教えることが多くなる。管理するつもりはなくても守るために規制を強いることもある。育てることが日常的なものだから、何かをする時は、指示することは多いかもしれない。

 親子の愛情問題が私の生きる手枷足枷になってきたのは事実だ。子どもの頃の私の特性も多分あるのだろうけれど、父にはかなり怒られた。そうではないという言い訳も通用しなかったし、理不尽だと思っても、自分は我慢が足りない娘だと大反省をしてきた。そして、【強く言われたら何でも言うことを聞いてしまう大きな我慢の壺】を刺々しい鉱石で飾り立てて、何十年も心の中で大切にしてきてしまった。
 4年前に受講したマリア先生のこころ講座の最終回で、この真っ黒いトゲトゲ鉱石を先生が「よいしょ!すごくトゲトゲで重たいわー」と、外してくれたが、その時のヒプノセラピーでわかったのは、母が厳しいと思っていたけれど、むしろ父の方がKeyになるザ・問題家族!だった。もちろん幸せな家庭だったし、ずいぶん愛情を注いでもらったし、幸せな子どもだったと思う。感謝もたくさんしている。 

 どんな愛情が正しいのかという問題には答えはない。愛情をかける時、人を愛する時に大切なことは何なのだろう。

 あらゆる面から働きかけること。 
介入しすぎないこと。
 バランス。 
でも、時には命をかけてでも守ること。

 どうすれば、人は良い愛情を持てるようになるのだろう。

 父を思い、家族を思い、甘くて美味しいトウモロコシを食べながら、ずいぶん泣いてしまった。