「ホッとすることにする!」


なあんて、こう言ってしまうのは

やっぱりわたしが思考型だからなんだろう。


ひととき、お休みして、

心も身体も楽になりたいだけ。


「弛ませないと、次に張ることができないよ」


あ、またこんな言い方。


自分で引くものである「弓」の字と、「~させない」と、「~ことができない」


でもね、

弛ませければいけないという言い回しに

ホッとする自分が確かにここにいる。


親からの抑圧の名残り?

わたしの捨てたい代表的思考→べき・ねば


休んではいけない

休むことは怠けること

お前にやれることはもっとあるのに、

やらないでいるのは怠けること。


そう思ってるのね、まだとこかで。


わたしって何なの?


どうやったら、楽になるの?


親の代わりにわたしがわたしに許可すればいいの?


言いたいのは…


「まずひとつ終わった!

一度思考するのをやめて、

感じるままに過ごそう」


と言いたいだけなのに、


次に思いつく言い回しは、


「お休みしても良い」


許可制なわけ?


頭が痛くなってきた(笑)

言い直します。


「緩く過ごして、また楽しく

次に向かおう!」



これだけでも、ちょっとは違うかな(笑)


でもやっぱり無理やりなスローガン的匂い(笑)


まあ、べき・ねばスタイルでよく頑張ったからこその部分もあるわけでしょ?

昭和の子どもなんだし💦

そこはありのままの私を認めておきましょうか、やれやれ。





木曜の朝の東の空。

雲の切れ間なのか、斜めの光が気になりました。まさかの赤いオーロラじゃないですが、空って不思議。


疲れ果てて、夢も見ないで眠り込んだ

翌朝見た赤い空。

その時は単純にきれいだっただけなのだけれど、今見ると不思議な写真。


今日は、空は曇っていて、遠くの海を見ているような気分の朝でした。

「今日は気ままに過ごします!」


(だから、こういう宣言はいらないと思うの、本当に自由ならば)