数日前、ある一般講座を受けました。
10人くらい受講していました。
終わりに質問をしたのですが、やや誤解を招きました。
言葉の選び方が端的すぎたのと2つ以上をいっぺんにしてしまったせいで、回答ももらったけれど、部分的に否定もされてしまったのです。。。
「それはあなたの言っているようなことはやりませんよ、それは違う。」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230924/13/musicamajica/3d/81/j/o0239041015342140626.jpg?caw=800)
この、先生の言葉が、自分の傷口が開いた、または塩を塗られた瞬間だったのです。
否定されたわけです。しかも本題ではなくわかりやすいつもりで使った言葉が違うと。
たぶん違うかもしれないけれどという前置きもしたじゃないですか。だから、その言葉遣いが間違ってるかもしれないけれど、と言ったのに、そこを拾って復唱までしてくださって、泣きそうです。誤解されています。
もちろん、回答も短くもらいましたが、「それは違う」案件の方の言葉が長かったので。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230924/13/musicamajica/7e/80/j/o0620029015342140630.jpg?caw=800)
質問を終え、講座も終了してモニターを切ったあと、もやもやしながら、しばしボーッとしていました。
変なことを言ってしまった自分を責めたり、
周囲はどう思ったか気になったりしながら、
これは何の傷なのか思いだそうとして、小さい頃からの似たような経験の記憶を探したり。
さあ!私は、もやもやをどうにかしたいの?
通信講座だけれど、事務局に連絡や質問はできるから、自分が何を言いたかったのか説明しにメールしますか?「あなたの言ってるようなことはやりません」「それは違う」って、言葉遣いが間違ったけれど聞きたかったことはこういうことでー、先生のおっしゃることはわかっていますから、そこでなくて、、、。
いやいや、待って。
そもそも、その反応は自分の傷に原因があるので、質問が変だったとか、変な人に思われたとしても、そこを主張する必要はないのでは?取り繕うみたいでしょう?
わかってもらえない気持ちになったのは、わかるけど、回答もらったのだし、もういいのでは?
そして、普段は聞かないことにしている自分の心の中にいる「トゲトゲの黒い鉱石」に聞いてみることにしました。
今日は言っていいよ。
先生に嫌われたかも。先生は怒っていたかも。周りの人に嫌われたかも。
間違っているかもしれないけれどと言ったけどやっぱり間違っていた。そこが悲しい。わかりやすいつもりで使った言葉だったのに、質問を短くしようとしただけなのに。私はかわいそう。もうこの講座やめる。次からは出ない。そうしたら、先生は自分の言い方もきつかったってわかってくれるかも。勉強したかったのに。
言わせておけばいい気になって(笑)
かなり出てきました。
私の心の奥にある傷ですね。心の癖。
今日はわざと「トゲ黒鉱石」に喋らせてみましたが(笑)、私という人の生きづらい心を作ってきた「トゲ黒鉱石」は、すでにマリア先生のこころ講座とヒプノセラピー講座を受講して、私のなかでは理解の上、切り替わったものですが、長い付き合いだから、完全にはいなくならないのでしょう。でももう、ここをベースとして物事を捉えないようにはなっています。
成長の段階で何らかの原因で心に住んでしまった「トゲ黒鉱石」。個性ともいえるけれど。他人から見たらきっと気性の激しい人だったでしょう(笑)
昔の私は、承認欲求が強くて、それが苦しかったのです。わかってほしいのにわかってもらえなかった時に、結構じたばたするのですね。
ボーッとしながら、自分の心の奥をのぞいたようです。思い出したことがありました。
こどもの頃のこと。
父の前では、泣いても泣いても涙が止まらず、その事で余計叱られたし、「でも」などと言いかけるだけで、口答えで余計に大きな声で叱られたし、長くなりましたっけ。
母から叱られた時は、叩かれるのですが、わかってもらえるかもしれないと思って「でも、こういう気持ちだったの」と言ったんですよね。
「じゃあ今から『わたしはこういうつもりだったので悪くありません。』って、スピーカー持って大きな声で言いながら町内を歩いてきなさい!」
この、母の言葉が今の私の耳のなかで、大きく鳴り響きました。
父も母も私を愛してくれたけれど、今回のは、「私が悪い訳ではなかったのに叱られたのは悲しかった」という記憶です。もちろん私が悪いなら叱られても当然ですが、たぶんそうでない時に叱られたショックなのでしょうね。
そうね。誤解されているかも、と思った時に「もやもやざわざわ」して、瞬間的にどうにかしなくてはと思うのは、ここから来ているのね。
話を現在に戻します。
結局、講座の件は、先生が怒っていても私を変なことをいう人だと思ったとしても、それで良いことにするときまりました。何となくです(笑)。次からもちゃんと講座には出るし、それで支障と言えば、この先生に質問する時は言葉選びに気をつけようかな、ぐらいなので。
今回のことは、古傷が疼いた程度という認識でやっていけます。
ばたばたしないことですね。
自分で自分の傷をわざわざ広げてしまうようなことはしなくていいと思います。
ずっと、こうして玉ねぎの皮剥きなんでしょうね。
落ち着いて、向き合っていきましょう、これまでも、今からも。
気分転換に海の見える電車に乗りに行きました。
長文お付き合いありがとうございました!