子宮内胎児死亡① | すみれときいろとフィリピン生活

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2017.1.4(33w0d)
年明けすぐ、久しぶりの健診を受けました。
赤ちゃんはまた大きくなっていて、元気に動いていました。
私の体調もすっかり安定していて、何の問題もないとのことでした。

ただ、少し前から逆子になってしまってどうにも治らない。
33週という週数からみても、これはもう帝王切開だね、ということで出産日も決めました。
帝切に関しては特に何も思うところはなく、無事に産まれてくれるならなんでもいいです、という感じで、むしろ予定日より2週間も早く赤ちゃんに会えることが楽しみで仕方ありませんでした。

2017.1.6(33w2d)
いつものように朝から横になって読書をしていましたが、なんだか今日は胎動が静かだなぁ?と昼頃気づきました。
そのまま2時間くらいは急に赤ちゃんのことが気になり始めて、じっとお腹に手を当てていました。
今ならわかります。
1時間以上ぴくりとも動かないなんておかしいってこと。
でも、このときはまだ「そんな日もあるのかな?」と思いつつ、不安なまま2時間以上家で過ごしていました。

とはいえ不安は拭いきれず、たまらず母に
「なんか今日あんまり動いていない気がする…」
とこぼすと、すぐに病院に行こう、と母。
その言葉でまた不安が増しました。

病院までは車で10分ほどですが、その道中、母の出産の話をしていました。

私には9歳離れた妹がいます。
妹を産んだとき、母は30代後半。
当時にしては高齢出産だったのだと思います。

その妹は、妊娠8ヶ月目に未熟児で産まれました。
母は毎日搾乳し、保育器の中の妹の元へ通っていました。
まだ小学生だった私と弟の世話焼きに親戚が代わる代わる家にやってきて、珍しく父が料理したりなんかもして、子供心には楽しい非日常を送っていた記憶がありますが、少し経って当時の経緯をきくと、大変な修羅場だったようで。

母は妹を出産する少し前から入院生活を送っており、その日もいつものようにお腹にエコーをあてて赤ちゃんの様子を診てもらったようです。
しかし、赤ちゃんの心拍が急に落ちている、今すぐ出してあげなきゃいけない、と突然告げられ、そんなタイミングでのんびりお見舞いに現れた父も仰天し、そのまま帝王切開となったのだそう。
妹は、本当にギリギリのところで命を救われました。
少しでも遅かったら、どうなっていたのかわかりません。
予定より2ヶ月早く、小さな小さな体で生まれた妹は、小さかっただけに家族中がたくさん飲ませ食わせ育ててあっという間にプクプクな赤ちゃんになり、そうこうしているうちに私の身長も越す健康児になりましたが(あ、20代の今はちゃんとスリムです笑)。


心拍が落ちているのかもしれない、今日帝王切開になるのかもしれない、でも今は9ヶ月目だし、当時の妹より育ってる、きっと大丈夫。
母とそんな言葉を掛け合い、励まし合いながら病院に向かいました。

病院に着いて、胎動が感じられないことを伝えるとすぐに空き部屋でエコーをしてもらいました。
先生は診察中だから、ということでナースさんがお腹にエコーを当てますが、なかなかいつもの心音が見つかりません。
「大丈夫だよー、背中向けてるからかなぁ、ちょっと聞こえづらいねぇ」
どんどん涙目になる私を宥めながら、二人目のナースさんにエコーをバトンタッチ。
しかしその方もやっぱり心音をキャッチできませんでした。

そうこうしているうちに先生の手がやっと空き、診察室へ。

先生はエコーに映る心臓を注意深く診て、なんともいえない表情のまま静かに告げました。

「サキさん、わかるかな?心臓が動いていません。いつから胎動感じられなかった?」

「わかりません…気づいたのは3時間前くらいです、あの、今から出してあげて蘇生とかできますか?」

「おそらく心臓が止まって数時間経っているので、今からできることはありません。」

何も言葉が出ませんでした。

診察室を出ると、母が心配そうに駆け寄ってきました。

「赤ちゃん、心臓止まってた…」

それだけ言うのが精一杯で、涙が溢れました。

母の方が取り乱し、「なんで?!」と泣きながら私を抱きしめました。

あぁ、まわりの妊婦さんがびっくりしちゃうよ、とこんなときまで周りを気にしてしまう私。

すぐにナースさんがやってきて、再度私たちを診察室へ入れてくれました。

これから帝王切開しても赤ちゃんは助からないこと、このまま子宮内に留めておくと母体の方が危ないので、これからすぐに陣痛促進剤で出産の準備を始めたいこと、を淡々と説明されました。

隣で母が「まだ間に合いませんか?どうしてもだめなんですか?」と食い下がってくれたからか、逆に私は冷静になることができ、先生の言葉をそのまま承諾しました。

単に、状況を何ひとつ飲み込めてなかっただけなのかもしれません。
涙が出たのは母に抱きしめられた一瞬で、あとはバタバタと準備をする周りを呆然と見ていました。