子宮頚管縫縮術① | すみれときいろとフィリピン生活

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妊娠24週目、予定通り妊婦検診に行ったところ、2週間前まで3.5センチあった子宮頚管が1.7センチになってしまっており、慌てて入院、翌日子宮頚管縫縮の手術となりました。

先生の厳しい表情に、前回の19週での破水から流産の記憶がいっきに蘇り、恐怖から涙が出ました。

ここ数日のことを思い返して、あれが悪かったのか、これがだめだったのかと猛省の嵐。
祖母の葬儀後も父が喪主だったこともあり、初七日だ四十九日だとバタバタな日が続き、またその合間の細々とした事務作業(数百名分の香典記録をエクセルにまとめたり収支の精算をしたりお返しの品を選んだり)を私が請負っており、横になる時間もほぼありませんでした。
さらに先生から許可を得て、病院主催のマタニティビクスにも週一で参加していました。

働いていた頃は臨月近くまで働く同僚たちを間近で見ていたので、私もいけるのかもなんて思っていました。が、私は普通の妊婦さんとどうやら違うと、いい加減自覚しました。

もう先生が許しても、母親学級で勧められても、今後妊娠したときには運動なんてするものか。

筋肉が落ちて産む体力がなくなったのなら、お腹を切って産めばいい。それに2度の安静生活でわかったことに、食べて寝ているだけでは太るかと思いきやむしろ体重は減るようで、体重超過の心配はしなくてよさそう。
筋肉が落ちる分体重が減るのか、自ら食べる意思もなくお給仕される分だけ食べるので間食がなくなり体重が減るのか。

そんなことよりうっかり動きすぎて切迫流早産になる方がよっぽど怖い。
誰に何と言われようと、今後、正産期まではできるだけおとなしくしていよう。

「今日も元気な赤ちゃんに会えるかな」とうきうきで健診に来てみたら病着に着替えさせられベッドで点滴を受けているという、思いもよらない現状を飲み込めず、恐怖と後悔と八つ当たり的な怒りでぐちゃぐちゃになっていました。