楽譜の歴史を何度か掲載してきましたが、ここで一区切りするため、楽譜について少しまとめてみたいと思います。
15世紀、五線譜の発明によって音の高さと長さを同時に表記できるようになり、音楽は書き残すことができるようになりました。この時代の音楽とは、主に宗教音楽のことでした。
18世紀後半になると、作曲家はより明確に自分の意図を示すために、強弱やテンポ、アーティキュレーションや発想記号など、指示をより細かく書き記すようになりました。
楽譜はこうして、宗教音楽の統一化のために音楽を記録するというシンプルな役割から、時を経て、作曲家自身が自分の音楽をより詳しく伝えるための媒体へと変化し、この楽譜を媒体として、西洋音楽は現代まで受け継がれてきました。
しかし楽譜は、音楽の全てを書き記すことは、やはりできているとは言えません。
音の高低と長さは明確ですが、音色や強弱については標語(言葉)を使わなければ表現できません。
そしてこの標語は、初めはイタリア語が多く使われていましたが、作曲家がより詳細に指示するために自国の言葉を使うようになり、楽譜表記のあり方も変わりました。
その標語のニュアンスも、言語によって、また同じ言語でも作曲家によっても異なっていると言えます。
さらにそのニュアンスの受け取り方も、国によって、文化によって、また時代によっても異なるものです。
さらに、12音音階や平均律に沿わない音律・音程や、アゴーギグ(規則的なビートから外れる拍)など、やはり書き表すのが難しいものがあります。
民族音楽や民謡などの節回し、拍子とも取れないような独特のリズムなど、楽譜に書き表すことが難しい要素は、実は非常に多いと言えます。
このように、楽譜には利便性もありますが、同時に大きな制約も合わせ持っているのです。
私たちはよく、「楽譜通りに」という言い方をしてしまいますが、その言葉がいかに思慮のない、一面的な言い方であるか、あまり自覚的ではありません。
それを理解した上で、それでもやはり、楽譜という媒体の何が素晴らしいかと言えば、同じ記譜法を習得することでお互いがよりうまく意図を伝え合えるということです。
楽譜を共通項として伝えられる要素が非常に多く、とても共有性や有用性が高いということです。
お互いというのは、作曲家と演奏家のこともあれば、演奏家同士のこともあると思います。
このように、音楽が伝承されるのは、西洋音楽の普遍的かつ合理的なシステムの上でなら、という限定付きではありますが、それは時代を超えるだけでなく、国や文化も超えて、楽譜を通じて音楽が伝えられてきているのです。
そしてそれがさらに、人と人をつなぐこともありますね。
そんな風にして楽譜に改めて向き合ってみると、音楽もまた少し違った姿で見えてくるような気がします。