加藤和彦

 

 人は数多くのことを成し遂げた人のことを知りながらも、称賛しないことがある。もっと触れるべきだが、触れていない事柄は多方面であるだろう。

 今年、1月に高橋幸宏が無くなった。6月にはSKYE(小原礼、鈴木茂、林立夫、松任谷正隆のバンド)が小坂忠の孫Raineとコラボを果たした。往年の歌手の話題が続くこの年にもっと触れるべき人物を紹介する。

↓↓Spotifyで加藤和彦を聴こう↓↓

 

奇想天外なデビュー

 加藤和彦のデビューは不意である。仏師であった祖父の後を継ごうと、仏教系大学へ進学。その時に仲間と組んでいたバンド「ザ・フォーク・クルセダーズ」の解散する前に自費で制作したアルバムがあった。ひょんなことからアルバム収録曲「帰って来たヨッパライ」がラジオ局のリクエストカードに殺到。そこから1年限定でデビューした。

 デビュー曲は反響が大きかった「帰って来たヨッパライ」だ。この曲はテープの早回しを利用して制作されており、何とも言えない機械的であり人間味もある歌声が特徴であり、仏教の要素を含んだ奇想天外な曲だ。

 「ザ・フォーク・クルセダーズ」リリースする曲でグループ名を変えていることも特徴的であるが、色々な楽曲をリリースしたという側面は最も注目すべき点だ。韓国の楽曲を日本語詞に置き換え、歌唱した「イムジン河」、今もなお多くの歌手から歌い継がれている「悲しくてやりきれない」など多岐にわたる。

 

  解散後も活動継続

 「ザ・フォーク・クルセダーズ」解散後も活動を継続し、解散翌年に「僕のおもちゃ箱」をリリースし、ソロ活動を開始する。ソロ活動3年目の1971年に「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバー北山修とタッグを組み誰もが知る名曲「あの素晴らしい愛をもう一度」をリリースする。これは躍進の始まりに過ぎなかった。

 

 世界へ飛躍

 「あの素晴らしい愛をもう一度」をリリースした年の11月に妻福井ミカをボーカル、加藤和彦(ギータ)、つのだひろ(ドラム)で「サディスティック・ミカ・バンド」を結成した。このバンドの活動と並行して、ソロ活動も行っていた。

 また、このバンドはメンバーが頻繁に変わっていった。バンドの活動はイギリスでも行っており1974年リリースのアルバム「黒船」ではクリス・トーマスのプロデュースでレコーディングされている。「黒船」制作時は、小原礼(ベース)、高橋幸宏(ドラム)らがメンバーとして参加。イギリスでもツアーを行った。

 バンドは最終的に1975年、加藤和彦とミカが離婚したことで解散された。

 

 この他にも、映画・歌舞伎など多方面で活躍した。「サディスティック・ミカ・バンド」を見ても、世界で活躍した日本のバンドはこれがはじめではないだろうか。そこに高橋幸宏が参加しており、後にY.M.Oとして世界を席巻していくことになることは偶然ではないようにも思える。日本の音楽の先駆者を深堀するとより音楽が楽しめるだろう。

 

 

紅白に関する調査を行っています。

「全国民対象NHK紅白歌合戦世論調査」を行っています。併せて、「紅白出場歌手予想」への幅広い意見の収集のために出場歌手予想調査も行っています。

世論調査は終了しました。ご協力ありがとうございました。

↓↓結果開示のブログ記事↓↓


↓↓調査の詳細はこのブログ記事↓↓