AI時代の音楽制作
世の中でAIというキーワードが頻出するようになってから久しいですが、2018年現在、我々生活者が想像しているより、はるかに速いスピードでAI時代に突入しています。
「人々の仕事が奪われる」、というようなネガティブな見方が一般的かもしれないですが、私は「人々の生活がさらに豊かになるので歓迎」、という見解に立ちます。
受け入れ、ライフスタイルや仕事における価値観の変化に応じられるか、次第。
なぜなら、AIの台頭により、あらゆるコストがドンドン下がっていくからです。「稼ごう、働かなきゃ」と躍起にならなくても、なんとかなると思う、というのは楽観過ぎるかな・・(笑)
音楽制作の現場でも、AIマスタリングというシステムが出てきて、マスター音源と参考曲を入れれば、人工知能が自動的に作業をしてくれる時代になりました。
制限付きなら、無料のサービスもあります。
本来マスタリングは、何年も修行を積んだ「耳」の熟練のプロが繊細な仕上げを行う工程。
「マスタリングエンジニアを育てる報酬」+「マスタリング作業を依頼する報酬」を全的に考えると、包括的なコストはゼロになる可能性が。
(そのうち、作詞、作曲、編曲、録音、それどころか、歌手のプロデュースや楽曲制作の初期発想まで、AIが一手に担ってしまうかも・・)
ただ、ここでは、そのAIマスタリングなるものの良し悪しを検証したいのではありません。
今回のテーマは、技術革新の進歩による音楽制作、ひいてはクリエイティブ活動における「コスト低下の功罪」を考えたいと思っています。
技術革新に応じてポジションを取る
なにもAIなんて次世代的なことでなくとも、音楽制作の現場では技術の進歩により、年々変化を経てきました。
特にこの20年は、ProtoolsをはじめとしたDAW(Digital Audio Workstation)の台頭により、音楽制作のスタイル、概念、フローが劇的に変化。
ある意味では、個人が一人で音楽ができてしまう、と言えちゃいます。
コスト低下の波が押し寄せ続けてきたわけですね。
昔は1曲制作を完成させるのに、百万円単位のコスト(機材代、人件費、スタジオ代など)がかかって当たり前でした。
しかし今は同じことが(正確には似たようなこと)が、ゼロに近いコストでできます。
音楽制作をプロとして生業にしてるしている人達からすると、たまったものではない。
私自身も請負クリエーター時代、ビンビンと危機感を感じていました。それも、もはや十数年前の話ですけどね。
あくまで表面的な部分にフォーカスして・・という前提ですが、つまるところ「仕事として依頼する側の立場」としては嬉しい状況、「仕事として受ける立場」としては苦しい状況。
これが功罪の側面です。
能動的な請負クリエーターやエンジニアたちは、技術革新をのりこなして、ポジションを作っていきましたが、応じられなかった人たちは廃業を余儀なくされたでしょう。
一方、コストが高すぎてプロの手を借りられなかった個人アーティストたちは、わざわざレコード会社に頭を下げなくても、ワンストップで制作からリリースまで完結できるようになったのです。
コンテンツ制作における技術革新の最大の罪
昨今、iPADを片手に、ガレージバンドという無料の音楽制作ソフトで作曲をしている方が増えましたね。
もはや、DAWの導入すら不要になったのでしょうか。
誰に制約されることもなく、創作意欲がキープできる限り、採算に頭を悩ますことなくコンテンツを量産できる。
音楽だけではなく、アニメーションも写真加工も、ネット上でメディアチャンネルを持つことすらも敷居が下がり、個人が自由にクリエート活動ができる時代です。
最高ですね。
しかし、ここで大きな落とし穴が浮き彫りになります。
コストと敷居が下がった分・・・①質が低い ②低いことに本人が気づけない
実はこのポイントこそが、今回のテーマの重要なキモ。技術革新の最大の懸念。
ガレージバンドで作った音源、私も日常的にアーティストから持ち込まれます。
「作品が完成したので聴いてください」「ラジオに起用してください」「リリースしたいです」
ただ、たいていが「曲デモ」を越えていない場合が多い。デモ制作と楽曲制作の線引きが曖昧なのです。
まあ、そうなるのも当たり前かもしれない。
「個人が一人で音楽ができてしまう」時代と先述しましたが、それは表面上のことです。
歌手、作詞家、作曲家、編曲家、エンジニア、ディレクターなど、専門分野におけるプロたちが何年も修業を積み、精鋭が集まって楽曲制作が成り立っていたのが元来の姿。
実際は、そのくらい高度な技術や知識、経験が必要なわけですが、本質は変わりようがないはずです。
かつては高根の花だったモンスターマシーンが手軽に手に入るようになったものの、乗りこなすドライバーの技術は追いついていない。
確かに、楽曲制作を構成する全セクションにおいて、ワンストップで完結できるスーパープロデューサーも存在します。
しかし、ガレージバンドを入手したからといって、使い方を学んだからって、スーパープロデューサーになれるわけではないことに気付きたい!
激務と重責から解放された代わりに失ったモノ
技術革新によって、一人で音楽制作できるポテンシャルは整いました。
しかし己の技術自体は、やはり然るべき環境で何年も修行を積まねば、得ることは不可能なのです。
さらに問題は、本質を極めようとする者たちが、修行できる環境やチャンスに恵まれなくなったこと。
例えば音作り一つとったって、昔は80chのアナログ卓を目の前にして、信号経路を手動で繋ぎ、体で覚えることで耳を養ってきました。
アシスタントエンジニアは、「今回の作業でシニアエンジニアが作ったサウンド」を次回作業で完全再現するため、1時間かけてメモを取りました。
そして次回、メモを頼りに機材を全て組み直し、パラメーターを合わせ、自分の耳で「前回に同じになっているか」徹底的に再現を目指します。
前回同じサウンドになっていなければ、もちろんシニアエンジニアから激怒されます。
これが、DAWベースの制作が当たり前になってくると、ファイルを立ち上げただけで、前回と同じ状態になります。
アシスタントたちは激務と重責から解放されてハッピーになりましたが、修行できる(耳を養う)機会が失われた、という弊害に向き合うことになるのです。
これは「スタジオ」というプロ現場での話ですが、自宅で一人で音楽づくりを始めようとするアマチュアの方であれば、ことさらです。
「このレベルならOK」という基準やリファレンスがないまま、「自分にもできた」と思ってしまう。
もちろんアマチュアの方でも、プロ以上に研鑽し、斬新な発想で素晴らしい作品を生み出している人は沢山います。
結果的に、そういう人は残り、そうでない人は結局、淘汰されていくでしょう。
個の質の低下が促進されると、全体レベルの低下を招く
コンテンツ制作のハードルが下がって誰でもクリエイトできるようになったのは大変良い事です。
一方で、「できる」の水準を誤解し、自由に作品を公開できてしまうことで、業界全体の質が下がっている危険もあります。
それが当たり前になってくると、ツールの進歩はドンドン進むのに、クオリティーはドンドン失われていくシナリオも。
皮肉な話ですね。
この数年、私自身もジャッジが甘くなっていた節があります。
若手たちが一生懸命作ってきてくれた作品を前にして、本人のモチベーションを下げないように、「まあこのレベルなら良いだろう」「ミックスで何とかなるだろう」と。
今年6月に、弊社は企画コンピレーションアルバムを企画リリースしましたが、実は制作過程でミキサーに何曲か音源データを突っ返されました。
「ホントにこの曲、出して良いんですか?これじゃミックスできませんよ」と言われまして・・
私のGOサインの判断基準が、その曲たちより「更に拙い作品たち」との比較になっちゃっていたのです。
大いに反省しましたね。
ジャッジを出す人が、基準未満の作品にOKを出し続けてしまうと、業界全体のレベルの低下を招く危険があることを思い出しました。
帯を締め直した次第です。
基準を満たしているか、一番シンプルでクリアな方法があります。
これはプロの現場でも「必ずしていること」なのですが、自分の作品を一流のリリース作品と徹底的に聴き比べることです。
音色や音質など含め、売れている既存作品(製品)と、並べて遜色がないか、真剣に検証すること。
自分自身の絶対的な物差しだけでなく、相対的、客観的に判断することが肝要です。
そこで気付いた己のスキル不足には向き合い、必ずアウトソーシングして解決して下さい。
もちろんコストがかかるでしょうが、時間を金で買うのは、理にかなったアクションです。
冒頭でAIの話をしましたが、今後、音楽制作現場においても技術自体はAIに代替されていくことでしょう。
そうなればアウトソーシングするにしても、コストは今より下がるはず。
しかし、その作品の精度や質をジャッジするのはあくまで人間なんです(ジャッジ自体もAIになったら・・もう知らん!)。
つまり我々は作品の「良し悪し」に、正確でストイックな基準を持ち続けなければなりません。
実働はAIにバトンタッチしても、AIに負けないくらい知識と経験を高めていく必要がありそうですね。
ミュージックバンカー代表取締役 水谷智明