偏差値30からの大学受験 前編 | ミニ地球世界のプチ神様を目指して

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40過ぎのキモカワ系男子・虫歯天使が前人未到の領域に挑戦する。
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テーマが行方不明すぎるカオスなブログです。

こんにちは!

それなりに個性と才能は豊かながらも、その全てが紛れもなく凡人の枠にしっかり収まる残念で惜しい人間の典型例、虫歯天使です。


今日から少し、若い頃の話をやろうかと思います。過去記事の、続きになっておりますので、

そちらも見ていただけると、ストーリーがつながると思いますが、ぶっちゃけ、見なくても今回のシリーズは独立して読めるように書いていきます。




今回は私の大学受験について語ろうかと思います。私は高校2年生までは、ただの弱いヤンキーだったので、もし大学に進まなければ、大きく道を踏み外していた可能性があります。


それこそ、オレオレ詐欺とかやるような人生を歩んでいたかもしれません。


その、人生の一大転機となったのが、

当時好きだったYちゃんと同じクラスになるために、高二から高三になるときに、文系から理系に移ったことです。

そもそも、これが制度的に可能な高校って少ないですよね? 古き良き時代の、大らかな田舎の話です。


そもそも高校入試の偏差値が50を切るような学校でした。私はその中で、ぶっちぎりで文系ビリの成績でした。大体、高ニになるときに文系クラスを希望した理由も、高一のときに好きだったKちゃんと同じクラスになろうとしたからでした。


本当は将来やりたいことなんか何もなくて困っていたのですが、理系を希望する理由として「おれは大学で物理を勉強したいんじゃい」という大嘘をぶち上げました。


担任が家庭訪問に来ました。私のためだけの会議が何回も開かれたそうです。

反対派の先生たちからは、かなり酷いことを言われました。

「お前なんか大学に行けるわけがない」

「お前に物理が分かるはずがない」

「お前に微分積分が分かるはずがない」

まあ、そう言われても仕方がないほど素行が悪かったので、恨む気持ちはないのですが、彼らの、生徒の素質を見抜く能力にはちょっと疑問をもってしまいます。


結果、看護系の子とかが集まる文理クラス的なところに入れられて、理系なんだけど数と数Cの授業が受けられないコースにぶち込まれました。Yちゃんと同じクラスになれなかったので、全く意味がありませんでした。


しかし、嘘から出たマコトとでも言えばいいのか、いろいろあって、最終的には、本当に大学で物理学を学ぼうという気持ちになりました。

虫歯天使は、思春期になってからは、女の子にばかり興味が行ってしまったり、非行少年化したりして大変だったのですが、小学5年生くらいの時期は、図書館の理科コーナーの本を全部読んでしまうくらい、理科好きの子供だったのです。もともと。で、原点回帰したっていうことなんでしょうね。


Yちゃんは、学校で1番有名な美少女でした。しかも全然彼氏をつくらないので、本当にアイドル的存在でした。

しかし私は、父親同士が同じ職場で大変仲が良く、しかも共通の女友達がいたので、一緒にカラオケに行ったりできるという超おいしいポジションを確保していました。

調子に乗って、高2のときに、告白して、フラれてしまいましたが、開き直って、好き好きアタックを繰り返しておりました。


まあ、全く相手にされていなかったのですが、Yちゃんこそ、私が「この世界は生きるに値する」と思わせてくれた人(の中の筆頭)です。


3の終わり頃になってとうとう本当に勉強をし始めたのですが、大学受験に間に合うはずがありません。


ちなみに、私の実家は超ど田舎。陸の孤島です。一番近い大学までバスで3時間かかります。そのため、センター試験は学校で泊まりがけの旅行で受けに行きました。

そういう地域なんで、大学進学=実家から出るっていうことになります。だから、学費+下宿代は必須になるわけで、ある程度裕福な家でないと、なかなか私立大学には行かせてもらえなかったんですね。


うちは裕福ではありませんでしたが、やはり大学は国公立でないとダメと言われました。

私自身、高校時代は好き放題に遊んでいたので、今更私学に行くお金を出してほしいというのもどうかと思いました。

また、種違いの弟2人が自分の部屋をもっていないのに、私だけ小学校1年生から1人部屋が与えられていたのも、可哀想に思いました。


なので、高校卒業後は、とりあえず実家を出て都会にアルバイト生活をし、自分で勉強して、1年間浪人することに決めました。


これにはさすがに、親、先生、親戚から猛反対をくらいました。受かる筈がないと。それでは何年やっても受からないと。しかし何故か、私は自信満々でした。


卒業後の二日後だったと思います。学校から電話をかけまくったら、東京のすぐ近くで、新聞奨学生の枠が急遽空いた場所があることが分かり、次の日の朝には生まれ育った地元を発つことが決まりました。


早朝、まだ元気だったばあちゃんが、自転車に乗ってバス停まで見送りに来てくれました。ばあちゃんと握手を交わして、私はバスに乗り込みました。


バスは動き出しました。バスから見える海がキラキラと輝き、自分がこんな美しい場所で育ったことを誇らしく思いました。


そうして、隣町のバス停まで来たとき、私の目に信じられない光景が浮かびました。

なんと、一緒にカラオケに通っていたグループが、見送りに集まっていてくれていたのです。

その中にYちゃんもいました。

私は、バスを駆け下り、一人一人と思いっきりハグしました。そのノリで、ちゃっかりYちゃんにもハグしました。

当然、バスは動き出したのですが、ダッシュで追いかけて停めました。

この話には、ちょっと裏があるというか、

Yちゃんの家がバス停の目の前っていうウルトラ幸運があったのです。

なきゃ、来てくれるキャラではないですww


バスは山道に入り、どんどん進んでいきます。私はとても寂しい気持ちになりました。両手で輪をつくると、まだYちゃんのぬくもりが感じられるようでした。まだYちゃんが、その輪の中にいるようでした。


Yちゃんといえば、忘れられない思い出がいくつもあります。

高校生活も大詰めの、冬の時期でした。けっこう雪が降る地域で、その日も大雪が降り始めていました。

夜遅くまで学校に残って勉強していて、帰ろうとしたとに、玄関でばったりYちゃんに会いました。本当は、Yちゃんが帰るタイミングを狙った待ち伏せだったのですが。しかも勉強しながら待っていたというようより、待っている時間のほんの一部、勉強もしたかな? ていう感じだったのですが。


坂の上にある高校だったのですが、坂道をYちゃんの傘で相合傘をして歩きました。まばらな電灯に、舞い落ちる雪が乱反射して丸く光っていました。坂道には足跡ひとつなく、振り返ると、私たちの足跡も、すぐに雪が消していきました。

私はきっと、この先の人生で何があっても、この光景を忘れることはないだろうと思いました。


続く


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