GRAPEVINE TOUR 2015 in 名古屋ダイヤモンドホール | MUSIC TREE

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邦ロックを中心に批評していく
音楽ブログです。更新不定期。

GRAPEVINE
TOUR 2015
in名古屋ダイヤモンドホール
2015.5.31

~シークレット・ストーリーから見えたバインの新たなる航海~


言うなれば、とっちらかったアクトだった。というか、そこに必然性があった。今のバインはそうしなければならなかった、そんなライブだった。

おそらくアルバム1曲目からは演奏しない、という予感がしていた。その通り「IPA」のイントロがSEと絡まり、ゆるやかにライブは始まった。
ツアーは新作『Burning Tree』発売以降のライブなのだが、のっけから「SOUL FOUNDATION」「Tinydogs」など過去の既発曲が演奏され、今作を再現することにこだわらないものであることがわかった。
彼らのライブは、懐メロコーナーと題して、昔の曲を演奏するのはごく普通のことになっていて、最近は特にそんなモードになっている。
しかし、今回は少し違っている気がしていた。

どこがというと、特に印象深い点が何点かある。
まずは、過去の馴染み曲が本編の流れを作る上での間奏的なイメージで使われていないということ。バインの場合、その曲で逆に盛り上がったりということがまぁまぁよくある。(バインの楽曲クオリティからしたら当然なのだが)
だが、今回はすべての曲たちが物語の1ピースを担っているようだった。

新作からの「MAWATA」では黒人音楽のリズムを感じさせ、その風景をみせる。「Silveroad 」からは白人ロック王道感が違った土地柄をみせ。
田中渾身の真っ赤な嘘、1977に西海岸で活動していた時にヒットしたという紹介で「1977」を演奏した。
そして、ブルースロック感が増し増しの「覚醒」がギターの歪みとともに異なる時代を見せる。
これらは、彼らの演奏テクニックが見せる匠のワザといえるだろう。

田中の歌詞を借りるなら、異郷と現実、それからMCの嘘が絡み、多種多様な場面、時代、非日常が交差していく。彼らの演奏からはそんなものをみせつけられる。
つまりワープし続けるのだ。冒頭に言ったように、だから今回はとっちらかっていたのだ。
今迄のバインなら、SEからラストのまで色々な波がありつつも一つのまとまりを作り出す、そんなライブだったが、今回は瞬間瞬間で、瞬間風速を作り出し、また次の場面へスライドしていくようなものだと感じた。
田中が一番嫌っていて、好きな言葉だといえる、”ここではないどこか”を歌わずして、その残像を僕らの脳裏に焼き付けるそんなライブだ。

ただ、今回のライブの壮大なタイムスリップは、実はまやかしなんだともいえる。
それは、この『Burning tree』に込められた、田中の内面的な追憶と吐露という側面を、彼なりの天の邪鬼な視点でカモフラージュするためのものだったのではないか。
僕が思うに、隠された本当のストーリーは、最初に演奏された「IPA」の”まだ美しく死ねるか”という歌詞から、ほぼラストに歌った「サクリファイス」の”でも生贄なら”という歌詞へと、曲がりくねった伏線を経て、シークレットキーワードが徐々に明かされていく田中自身のパーソナルな昔語りへと繋がる部分だ。
でもまだまだこれからなんだと思う、すべてを語り尽すには。

それから、特に今のバインはすごく楽しげなのだ、少し前より。
田中はライブ中盤でもうお酒(ラベルをチラ見せしていた)を飲みだす、もちろん飲むのが好きだからだが、もう一つの意味があると思う。それは、雄弁にもっともらしい嘘を吐き続け、田中がMCで匂わしたように、音楽で本当のことを伝えるためだ。酒飲みの人が言うには、酒を飲むのはいつもより正直になることで神に近づくことが出来るからだという、そういうことだ。

亀井のウォータードラムの音と共に、バインという海賊は、新しい船出をしたのだ、今作のアルバムとツアーを行う中で。
それは、終わりの見えている、船出だ。でも終着点は、もっと先の話。
それまで、酒を飲み交わし、未来のある昔語りをして、進もうじゃないかという感じじゃないだろうか。
これからのバインが楽しみで仕方がない。そんな彼ら自身が今一番楽しんでいるのがよく分かるから。

どやさ。