「虎に翼」に胸を突かれる。そして堺小春さんのお祖父さん | あずき年代記

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今朝の「虎に翼」に胸を突かれた。


まことに苦いものである。


ネトウヨの東アジア人差別とそれに阿る小池百合子都知事の根は深い。


まえも書いたが、わたしの両親も親類たちも内輪で東アジア人たちを差別していた。


戦前は日本の統治下にあったくせに…という思い上がりがまずある。


次に、敗戦後、闇市のマーケットで立場の変わった彼らから不快な目にあわされた記憶が憎悪に転化していた。


わたしは小学生だったが、内心、大人たちに反撥していた。


野村芳太郎監督、渥美清さん主演の「続・拝啓天皇陛下様」では戦前は卑屈なまでに低姿勢、戦後になるや、突然居丈高に豹変する華僑を小沢昭一さんが好演していた。


同じ弱い立場から小沢昭一・南田洋子の華僑夫妻とフレンドリーに付き合っていた渥美清さんだけが、お金持ちになったこのふたりから親切にされる設定だった。


松竹の喜劇映画の監督は山田洋次さんだけではなかった、と強調しておきたい。


「虎に翼」には堺小春さんが脇で出ている。


父上の正章さんと似ているというのがネットの声だが、そうだろうか?


わたしにはむしろ、お祖父さんの堺駿二さんに似て見える。


昭和40年代前半のテレビ朝日は、夜になると、よく東映のチャンバラ映画を放映しており、そそっかしい目明かし役で大声で飛び跳ねていたのが堺駿二さんだった。


マチャアキのお父さんだよと教えてくれたのは祖父か父だろう。


堺駿二さんは正章さんがスパイダースの花形としてブレイクしたちょうどそのころに、新宿コマ劇場の舞台袖で急逝した。まだ50代前半だったとおもう。


そのころから将来、東京喜劇の中枢を担うひととして堺正章さんは大いに期待されていた。


植木等さんと伊東四朗さんのふたりがそのようにコメントしていたことも憶えている。


だが、正章さんはあまりに器用であり、ハングリーでもなくー昭和30年代前半に、自宅の庭にスケートリンクを造ってもらえたひとなどまずいませんよー、またソロ歌手として大成する夢を捨てきれなかったこともあって、コメディアンというよりヴォードビリアンの方向に行った。


堺小春さんは3年まえに、下北沢さんの舞台で伊東四朗さん、戸田恵子さんらと共演している。


その舞台を父上の正章さんは真剣に見つめていた由である。