ヨイトマケの唄と元祖・コンプライアンス男 | あずき年代記

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美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」が再注目を浴びたのは、たしか20世紀最後の年くらいに、桑田佳祐さんが横浜パシフィコのソロ・コンサートで謳いあげたときからである。


「ヨイトマケの唄」は、放送自粛歌のはずだが、美輪明宏さんと桑田佳祐さんが歌うかぎりは、NHKでは OKである。


レコードが出たのは、1965年(昭和40年)。


しかし、銀座の銀巴里で美輪さんが歌う「ヨイトマケの唄」は、前年=東京五輪イヤーには音楽関係者、テレビ関係者の話題になっていたのではないか?


というのは、1964年OAのシャボン玉ホリデーで植木等さんがヨイトマケに扮するコントがNHKのアーカイブスに番組1本ぶんまるまる残っているからである。


ドン・コサック合唱団に突然ヨイトマケすがたの植木さんが闖入してきて…というもの。


いま見返すと、なんということもない。


しかし、ホンを書いた放送作家河野洋さん(青島幸男さんのいちばん弟子で、俳優・藤田弓子さんのパートナー)によれば、じぶんのパートを読んだ植木さんの顔が曇り、


「これやるかどうか、考えさせてくれ」


と呟いて楽屋に籠ってしまったという。


植木さんの思考回路が、わたしには手をとるようにわかる…


…世の中、所得倍増だとかオリンピックだとか浮足立っているけど、みんながみんな恵まれているわけじゃない。貧乏寺の坊主の息子だったおれにはよくわかる。そいうひとたちがこんなコント見たらどう思うだろう?


植木等さんは「スーダラ節」を吹きこんだとき、こんな唄がヒットするようじゃ日本もお終いだと思った。


最初の主演映画「ニッポン無責任時代」が大ヒットしたときには、どこが評判いいんだ、こんな映画…と反撥していた。


それで、渡辺晋(ナベプロの創業者)・ハナ肇・青島幸男といったひとたちを当惑させた。


渡辺晋さんも植木等さんと一緒に仕事をした小林信彦さんも、


「植木等はふざけるのがきらい。だから説得するのが大変だった」


と語っているが、いまの眼で見れば自然にコンプライアンス意識を身につけていたひとだったのである。


また、そういう面がどこかで覗くから大衆に支持されたのだろう。


少なくともこどものころのわたしは、植木等さんをカッコいいと感じていた。


大地真央さんもそう見なしていたそうで、GSより植木等さんにときめいた由である。


植木等さんは外見だけでなく、私生活でも、むしろ、いまのイケてるひと、だ。


酒は飲めない、ギャンブル無縁、家族思いで、友達大切、現場で威張る菊田一夫や黒澤明に公然と逆らう。


それでも大衆がじぶんになにを望んでいるかを最終的に優先した。


じつにイケてるひとじゃないか。


今夜は、NHKーBS「アナザーストーリーズ」で植木さんを取りあげる。見なくても知っている内容だろうが。


明日は、生の戸田恵子さんを拝見。

明後日は、またNHKーBSで桑田佳祐さんを見る。


旅行よりエンタメなんだよね、あたくしの場合。