「虎に翼」ーハーシーズのチョコレートが暗示するものと亡父の限界について | あずき年代記

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作家の故・野坂昭如さんは、ハーシーズのチョコレートとコカコーラは口にしない、と書いていた。


家を空襲で焼かれ、妹さんを餓死させてしまった野坂さんの反米感情の端的な顕れであった。


俳優だった故・小沢昭一さんも似たようなことを綴っていた。


野坂昭如=1930年(昭和5年)生まれ

小沢昭一=1929年(昭和4年)生まれ。


…こんなことを想い出したのも今朝の朝ドラで、ヒロインが民法改正を指導するGHQのアメリカ人担当者からハーシーズのチョコレートが贈られる場面を観たからである。


男の家族を戦争で亡くしているヒロインの心境は複雑である。


朝ドラでGHQが描かれる場合、新たな検閲を加えてくる悪玉として描かれる場合と解放軍ーと呼んだのは日本共産党。信じられないだろうが史実であるーの善玉として描かれる場合とがある。


今回は後者のようだが、わかりやすく言ってどちらの貌も本当である。


飛躍するけれども、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」では相反するふたつのアメリカが、見事なコントラストをなしていたと記憶する。


GHQのリベラルなアメリカ人が日本人にチョコレートをギフトするというのは、平和憲法と民主主義をプレゼントすることの暗示とわたし個人は解釈した。


しかし、その当時から反撥はあった。


小林秀雄・大岡昇平の友人だった文藝評論家の河上徹太郎は「配給された自由」と揶揄している。


もっとも、戦中・戦後の日本政府による食糧配給は栄養失調レベルのものであった。日本への食糧援助もまたアメリカの政策によるものだ。(この点では吉田茂は功労している)。


そうして、いくら張りぼてじみているとはいえ、ギフトされた民主主義のおかげで、いまXを中心に15年ぶりの自民党政権への正当な怒りがたぎってきているのだ。


わたしの亡父は米軍に生家を焼かれ、兄はフィリピンのパラワン島ーいまはリゾート地らしいーで戦死しているから生涯反米だったが、被害者意識だけが募り、じぶんの兄がフィリピンでは加害者ではなかったか?という想像力に欠けていた。


日常レベルでもそうだが、被害者意識のみが衝突すると不毛なトラブルに発展するようである。


外交、防衛で忘れてはならない心理のメカニズムであろう。