消滅可能性都市ではなく、消滅可能性国家だろう。 | あずき年代記

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消滅可能性自治体一覧が発表された。


この10年くらい国内をあちこち回っている感想からいえば、なにをいまさらという気がする。


地方都市で栄えていると感じたのは仙台駅と金沢駅周辺くらいである。


とくに金沢は高級ブランド店が入った高層ビルが並び、米国の都市みたいだった。


これも森喜朗センセイのおかげなのだろうが、かつての繁華街香林坊は古色が目に立ってきていた。


少子高齢化は80年代から指摘されていたことだ。


以前もかいたが、私立中学・高校の校長たちは、そのころから危機感を抱いていた。


くにはどうしていたか?


竹下登内閣は「ふるさと創生」と称して各自治体に1億ずつばらまいたが、金ピカのオブジェ、村営キャバレー、温泉施設などに注ぎ込んでしまった。


東京一極集中は加速し、なのに都知事は、出来もしない「満員電車ゼロ政策」を公約に掲げていた。


東京の満員電車は戦時、いやもっと遡れば大正時代から始まっている事象である。


毎年、県の人口単位でひとが減り、自殺者は2万人代の高どまり、地震の脅威は列島全体で恒常化、いまから米国の州におさまることを本気で検討したら?


歴代首相、なぜか米国に行くと躁転するようだし。


マッカーサーが、


「日本人は12才の少年みたいだ」


と米国議会で形容したのは正しかったのだろう。