検閲 | あずき年代記

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きのう黒澤明の最盛期は1940年代後半といったことをかいた。


しかしその黒澤明にも瑕疵がある。


というのは、GHQの検閲があり、いくら焼跡・闇市を舞台にしても米兵も米国人も映せなかったのである。


「ゴジラ−1.0」でも米国兵が出てこないのは不自然だ。


近年の朝ドラでは占領軍の苛酷さを描くようになった。


このきっかけは江藤淳が1979年に上梓した、占領軍に支配された不自由な言語空間を糾弾した評論にあるとおもう。


ただそのころの私は、江藤淳よまずぎらいだったから、内容はよく知らない。


例によって左派の評論家と論争していたが。


江藤と敵対していた大岡昇平・埴谷雄高はGHQによる莫迦莫迦しい検閲のありさまを認めていた。


埴谷さんはこう語っていた。


「米軍の下に茶坊主の日本人がたくさんいて、次から次へと検閲に引っかけてゆくんだよ」


この点はジョン・ダワーも大幅に筆を割いていた。


谷崎潤一郎・川端康成まで発禁にされたことをあげている。


私が知っていたのは石川淳の「黄金伝説」という短篇集。


闇市にアフリカ系アメリカ人の米兵登場させたという理由で発禁を喰らった。


ダワーによればGHQは英語の出できる日本人を6000人雇って小説、舞台・映画の脚本をチェックしたという。


これらのひとたちはプロではない。

だから、疑わしきは刎ねるという方針で検閲に当たったのだろう。


表現の自由、言論の自由を推進すべき民主主義が真逆の対応を取ったことをダワーは批判していた。


じつは黒澤明は敗戦の年、歌舞伎の「勧進帳」を元ネタにした「虎の尾を踏む男達」を撮っているが、封建的な時代劇はけしからんという理由でお蔵入り、公開にこぎつけたのは日本が独立したことになっている1952年(昭和27年)である。


それでも文藝春秋社の社長池島信平は、戦時の軍部に比べたらまだマシだったと語っていることをダワーは書き留めている。


保守派の池島の証言だけに信ずるに値しよう。